以前にも引用した詩ですが(こういうのを詩というのであれば)、「航空母艦」。
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見ろさしちがへ戦法だ。
撃沈、撃沈、また撃沈、
空母は見る見る沈んでく。
一二三四五六七。
(『白秋全集28 童謡集4』四一三頁)
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ミッドウェイ海戦を詠った詩なのですが、日本海軍が撃沈した米空母は一隻です。
日本海軍の空母は四隻、「撃沈、撃沈、また撃沈」されていますが。
こういう事実に反している上に、くだらない詩を書く心理は何なのでしょうか。
鍵は「さしちがへ戦法」にあると思います。これは以前参照した「公正世界仮説」にも関わることですが、
「わが空母は四隻も犠牲になった、ならば敵にも相応の戦果を与えたに違いない!」
という、戦略戦術の初歩を無視した幼稚な心理です。犠牲を払えば、必ず相応の報いがあるに違いないという。ちなみに犠牲になったのは最前線で戦わされている両軍の兵隊さんたちであって、北原白秋自身はかすり傷ひとつ負っていないのですが。
こういう心理の持ち主がきまって崇拝するのが、日露戦争で大量の犠牲者を出した乃木希典です。彼と同格であり、乃木よりもはるかに少ない犠牲で戦果を挙げた三将軍(黒木・奥・野津)は言及されることすらまれだというのに。先頃、立憲民主党の泉代表が乃木神社を参拝したというニュースがありましたが、同党も負け滅びる組織特有の「さしちがへ戦法」に染まりつつある証拠だと思います。
念を押しておきますが、北原白秋が戦争に協力したから批判しているのではありません。北原白秋が戦争協力ひとつまともにできず、いたずらに彼我の犠牲者増大を讃えることしかできない、非論理国語のへぼ詩人だから批判しているのです。