核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

自爆フェチという病

 カミングアウトします。

 

 (2022・10・14追記 カミングアウトというほど大げさな話でもないので、一行削除します)

 

 北原白秋がどうこういう以前に、私自身にも、幼少期を振り返れば自爆フェチの傾向がありまして。

 『秘密戦隊ゴレンジャー』(一九七五~七七)や、『無敵超人ザンボット3』(一九七七~七八)の最終回に見られた、主人公側のメカや仲間が敵に自爆攻撃をしかける場面。

 あれらに悲哀と興奮の混じった、強い感情を覚えたものです。ただの変態性欲だと言われるかも知れませんが、否定する気はありません。

 その後成長し、同じパターンの番組を何度も見るにつれてその感情は薄れ、『機動戦士Zガンダム』(一九八五~八六)の最終回あたりで感動を覚えたのが最後のようです。もちろん実際の特攻隊や自爆テロには、嫌悪と陳腐さしか感じません。

 私の場合は対象が虚構娯楽作品だったから、他人様に迷惑をかけずに済んだのですが。問題は現実の世界で、自分ではなく他人に自爆を命じ、そのことに自己陶酔めいた興奮を感じる(としか思えない)人間が存在することでして。北原白秋の詩「言葉」にもある通りです。

 北原についてはまだ再考の余地がありますが、まぎれもない自爆フェチで、しかも軍人であった平出英夫大佐という、大本営海軍報道部課長をつとめた人物がいます。

 彼はミッドウェイ海戦大本営発表でも、起きてもいないホーネット型空母への自爆攻撃を熱く語っています。神風特攻隊が本格化する前の話です。こういう軍人や指導者を持ってしまった国は災難です。もちろん当人は戦後も自爆も自決もせず、戦犯にもならずに病死しています。

 平出英夫が大日本帝国そのものの滅亡に果たしたのと同じ役割を、北原白秋小林秀雄は文学の分野で遂行してしまったのではないかと、私は疑っています。