自爆とも体あたりとも書いていませんが、そうとしか読めない内容です。題名は「航空母艦」。
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見ろさしちがへ戦法だ。
撃沈、撃沈、また撃沈、
空母は見る見る沈んでく。
一二三四五六七。
(『白秋全集28 童謡集4』四一三頁)
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前の連に「ミッドウェーなら」とあります。が、空母七隻撃沈なんて、大本営発表でもそこまで嘘はついていません。日本軍の撃沈された空母を合わせてもまだ足りません。
それにしても「一二三四五六七」です。近代日本詩史上まれにみる空疎な詩ではないでしょうか。「いちにいさんし ごろくしち」で七五調の韻を踏んでるとでも言いたいのでしょうか。
見る見る沈んでく軍艦一隻にも何百何千の人間が乗っていたことでしょう。鬼畜米英は人間扱いしないと北原が考えたとしても、「さしちがへ戦法」なら日本側にも相応の死者が出たはずです。そうした想像力のまったくない詩人のみが、戦争を前に「一二三四五六七」と、小学生でも書かない詩を書きます。
一応、この「航空母艦」は「未定稿」の章に入れられていますが、『大東亜戦争 少国民詩集』の他の章の詩に比べて、ことさらに劣るわけではありません。こんなんばっかです。
晩年の北原の校歌、社歌、軍歌の量産ぶりも、多産というよりは想像力欠乏ゆえの濫作といえそうです。現実にはどの学校もどの会社もどの軍隊も違う人間たちから成り立っていて、そこには人間の数だけのドラマがあり、苦悩があります。そんなことを想像もしないからこそ、固有名をちょいと入れ替えただけの「僕らの○○校」「われらの○○社」「われら○軍」の類の詩をすらすらと書け、それゆえに校長先生や経営者や軍人には歓迎されるわけです。国民的詩人というより御用詩人です。
この『大東亜戦争 少国民詩集』の約六〇年前には、『新体詩抄』が出まして、「進めや進め諸共に」式の単調さで、同時代の斎藤緑雨からさえパロディを作られたものですが、北原最晩年のこの詩はそれからまったく進歩していません。北原白秋の生涯とは、いったい何だったのでしょうか。