「論理」と「文学」は反対語ではないのだから、「論理国語」と「文学国語」を分離するのはおかしい、というご意見もあるかもしれません。確かに、論理的であり、なおかつ面白い文学作品というのは存在します。
論理の反対は非論理。そこで提案ですが、「論理国語」と「非論理国語」を分けるというのはいかがでしょうか。小林秀雄や北原白秋や柳田国男の書き物は非論理の典型として、どんどん教えられるべきです。こういう非論理的な文学者〈?〉が、戦争をあおり立て日本を滅ぼしたのだと。
「赤い鳥 小鳥 なぜなぜ赤い 赤い実を食べた」なんて、こどもにウソを教えてはいけません。赤い実を食べたから赤くなる小鳥が地球のどこにいますか。その理屈でいけば、シュークリームばっか食べてる私は体が丸く・・・・・・なってるか。