核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

「相討ち」「道連れ」「犠牲」にロマンを感じる心性と、その弊害

 「こんなに多くの犠牲を払ったのだから、勝利が得られるはずだ」

 

 というのは、論理的ではなくても、まだ心情的には納得できます。しかし、

 

 「勝利が得られないのは犠牲が足りないからだ。もっと味方の犠牲を増やそう」

 

 となると、非論理的どころか明白な誤謬です。有史以前のいけにえや殉死にも似た、有害無益な思想です。

 たとえば日露戦争期の将軍乃木希典が命じた、白襷隊(しろだすきたい)。わざわざ目立つ白ダスキをつけた決死隊を旅順要塞に突っ込ませるという、人間を捨て駒にするような作戦です。当然ながら戦果は何もありませんでした。その後乃木は夫人を道連れに明治天皇に(戦死者にではなく)殉死し、乃木を神とたたえる乃木神社なんてものまで作られました。立憲民主党泉健太代表が、今年の初詣に訪れたそうです。

 そして太平洋戦争期。詩人北原白秋は日本軍がまだ有利と報道されていた頃から「見ろさしちがへ戦法だ」と、「自爆」「体あたり」による自殺的攻撃を推奨してやみませんでした。そして戦局は悪化し、神風特攻隊と称する、人間を犠牲とすることを前提とした自殺的攻撃がひんぱんに行われたのはよく知られています。

 「部下をもっと死なせれば、戦果があがるはずだ」という非合理思想の産物です。もっとも、白襷隊は乃木自身は陣頭指揮はしていなかったし、北原白秋が自爆するわけもないのは何度も書いてきたとおりです。

 「歴史はくり返す」という言葉もありますが、私の信条は「負の歴史をくり返させない」ことです。犠牲を美化するような思想は、現実ではなくフィクションやゲームの中だけにしたいものです。あ、煉獄さんの死闘には私も心動かされましたけど。平和主義者として不甲斐なし。