核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

「戦争を望む者なんていない」?

 たまに、以下のような疑問を耳にします。

 

 「戦争を望む者なんていないのに、なぜ戦争が起きるのだろうか?」

 

 残念ながら、上記の疑問は大前提が誤っています。前々回に書いたように、

 

 文化の中でも居心地良い三人ー小林秀雄、北原白秋、柳田国男ー - 核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ (hatenablog.com)

 

 戦争を待ち望む者、戦争が楽しくて仕方がないタイプの人間は実在するのです。彼らのように戦争を望む者がいるから、戦争が起きるのです。本気で戦争を止めたいならば、そういう者を見分け、警戒する眼を持たねばなりません。

 軍部や政財界の大物に比べれば、彼ら批評界や詩壇や民俗学界のボスの戦争協力など微々たるものかも知れません。確かに戦局の好転には何一つ貢献していないのですが、彼らが子分たちの追従を、あたかも国民が戦争を望む総意であるかのようにまとめあげ、戦争をせざるをえない雰囲気、戦争をやめられない雰囲気を作るのに「貢献」した事実は否定できません。小林秀雄は開戦の一年前から、米国と戦争をしても「大丈夫さ」と放言していました。のみならず、それを「みんな」の総意であるかのように、読む人に押し付けていました。

 戦争の記憶・記録を語り継ぐのは大事なことですが、それが戦争で地獄のような思いをした人の悲惨な記憶だけを語り継ぐことであれば、半分だけしか実行できていないと思います。

 戦争で天国のように楽しい思いをした者たちの醜悪な記録を調べ(それは探せば残っているのです。『小林秀雄全集』からは削除されていますが)、そうした真似をする者がもう出ないようにすること。戦争を待ち望む者たちが責任ある立場につくのを、民主的・非暴力的なやり方で阻止しなければなりません。それが私の考える、戦争の止め方の一つです。