核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

吹浦忠正『「平和」の歴史 人類はどう築き、どう壊してきたか』(光文社新書 2004) その2

 宋の向戌が提唱して実現した平和会議について、吹浦著にも言及がありました。

 

    ※

 春秋時代の前五五八年、山東地方に依拠する強国の晋(しん)で平公が即位すると、晋・楚両国と友好関係にあった宋の向戌(こうじゅ)がまず両国に、次いで各国を歴訪して戦争の防止を提言、兵戦終止の約束である「弭兵(びへい)の盟」が結ばれた(「弭」は「戦いをやめる」の意)。形の上では宋に対して、各国が不戦主義を確認する形となった。

 (二二三頁)

    ※

 

 なんか読んでて不安になる記述で、向戌の読みは慣用では「しょうじゅつ」ですし、弭兵の盟は前五四六年のはずです。ほかにも怪しい箇所はいくつかありますが、平和の歴史とは直接関わりがないのでふれずにおきます。ともあれ、向戌の事績が扱われていたのはうれしいことです。

 が、同ページにある、孔子いわく「兵を去らん」の出典が、「『論語』「顔渕」」となっているのは、残念なことです。「かおふち」と入れて誤変換したのでしょうが、「がんえん」なら「顔淵」と変換できたところです。

 誤字をあげつらうわけではありません。

 この顔淵、姓は顔、名は回、字(あざな)は子淵、略して顔淵という人は、孔子の高弟というにとどまらず、平和主義の歴史上でも知られるべき人物なのです。そのわりに、当ブログでは今まで取上げてきませんでしたが。語るべき時が来たようです。

 次回、「顔淵死す」。論語スタンバイ!