核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

弭兵再論―人間性のちょっとだけ低い部分に訴える平和主義―

 2014年の7月12日に引用した、向戌の弭兵論に関する記事を再掲します。今度は、絶対平和主義の起源は宗教特にキリスト教である、という意見への反証として。紀元前五四六年の話です。
 
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 宋の向戌(しょうじゅつ)は晋の趙文子(武)とも、また楚の令尹子木(屈建)とも仲が良い。そこで諸侯に戦争を罷(や)めさせて名を挙げようと思った。戌は晋へゆき、趙孟(趙盾)にその話をした。趙孟はこれを大夫たちに計った。韓宣子が言うには、
 「戦争は民の悩むこと、費用を食う虫、小国の大禍だから、罷めにしようという意見さえあれば、だめとは思っても、承諾せねばなるまい。でないと、楚が引き受けて諸侯を集めるであろう。そのときわれわれは盟主の資格をなくしてしまう」

 (略。こうして晋・楚両国の合意が得られた。次に行った斉の国では陳文子が)

 「晋も楚も許したのに、われわれがどうしていやと言えよう。その上、人が戦をよすというのにわれわれが許さなかったら、民に恨まれるにきまっている。そんなことができようか」
 斉の人は向戌に許した。秦へいった。秦も許した。すべての小国に告げて、宋で会合をもよおすことになった。

 (竹内照夫訳『中国古典文学大系2 春秋左氏伝』平凡社 1968 293ページ)
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 ……各人の動機にご注目ください。「名を挙げようと思った」「戦争は費用を食う」「でないと盟主の資格をなくしてしまう」「許さなかったら、民に恨まれるにきまっている」。彼ら大夫たちの個々の事績は知りませんが、キリスト教徒でも仏教徒でも儒教徒でさえないことは確かです。
 ここで言いたいのは、宗教と無縁な、まったく世俗的・あるいは国際政治学的な言葉のみによっても絶対平和主義は語れるということです。きっかけさえあれば。