核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

滑りやすい坂に階段を

 絶対平和主義・平和優先主義・正戦論の関係を図示してみます。
 
                           絶対平和主義(すべての戦争に反対)
                          /
                                                       平和優先主義(ほとんどの戦争に反対)
                         /ラッセル(ナチスドイツとの戦争には賛成)
                       正戦論(不正な戦争に反対。正しい戦争には賛成)
 
 「/」で示したのは滑りやすい坂、つまり流されやすい方向の意味です。現にラッセルは第二次世界大戦に英国の立場から賛成し、ソ連核武装する前の先制攻撃すら認めるようになりました。
 私が前回「まずい」と書いたのは、平和優先主義者がラッセルに依拠することへの危惧です。「ラッセルは独裁者との戦争には賛成だったんだろ。じゃあ独裁者○○(フセインなり何なり)との戦争も正しいんじゃないか」と、正戦論側にかっこうの言い分を与えかねないわけです。
 で提案ですが、この際ラッセルを平和優先主義から区別することです(ラッセルの各方面に渡る業績を否定しようというのではありません。平和優先主義からの区別です)。そして代わりに絶対平和主義よりの平和優先主義者をモデルとして提示することで、正戦論者との対話に備えようというものです。また図示すると。
 
                           絶対平和主義(すべての戦争に反対)
                          「矢野龍渓(後述)
                                                       平和優先主義(ほとんどの戦争に反対)
                         「ラッセル(ナチスドイツとの戦争には賛成)
                       正戦論(不正な戦争に反対。正しい戦争には賛成)
 
 矢野龍渓もすべての戦争に反対というわけではないのですが、日本で最初に「(もしかしたら世界初)平和主義」の語を使った人物であり、労力者の世界的連帯による世界大平和を訴えた時期もあるということで登場願いました。ラッセルよりは絶対平和主義に近い平和優先主義者なのではないかと思います。
 要は滑りやすい坂を細分化し、階段状にすることで、ずるずると正戦論者のペースにのまれるのを防ごうという発想です。もしかしたら龍渓よりも適切な例はあるかもしれません。
 階段を設けるメリットの一つは「滑りにくく」することですが、もう一つは「昇りやすく」することです。村井弦斎や木下尚江は矢野龍渓から大きな影響をうけつつも、乗り越える形で絶対平和主義に到達しました。私の博士論文の序論を読んでいただければ幸いです。