核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

ガンジーとは違ったモデルを

 「ガンジーでも助走つけて殴るレベル」という言い回しがあるように、ガンジー(ガンディーとも。今回はガンジー表記で統一)は非暴力主義・平和主義の代表者と一般に見なされています。ガンジーと比較して日本の九条護憲論者の不徹底性をあげつらうのも、改憲論のパターンの一つとなっています。今回はそれらについての意見を。
 ガンジーの非暴力論・平和論というのは人間の高尚な部分に期待するものであって、それが通用しない相手というのは存在するわけです。私はガンジーからアドルフ・ヒトラーへあてた書簡を読んだことがありますが、相手の「誠実さ」に期待して説得するというもので、ヒトラーが心を動かされるとはとうてい思いませんでした(実際、ドイツに届きさえしなかったとのことです)。
 ガンジーは非暴力・平和主義の成功例の一つではあるわけですが、唯一の成功例ではありません。人間性のもう少し低いレベルに訴える、ガンジーとは違った非暴力・平和主義のモデルを提示する必要があると思うのです。当ブログがたびたび向戌とアリストパネスを引き合いに出し、日本の明治大正の文学者による反戦文学を紹介しているのも、そうした違うモデルを示せればと思うためです。
 おおまかな方針としては、愛よりも気概に訴えること。プラトンは気概を人間の中に住むライオンに例え、理性(人間の中に住む人間)や欲望(人間の中の怪物)と区別しましたが、そうした方面に作用する平和主義の研究を、私は考えています。