核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

中間報告。綱引きや将棋に似たもの

 平和主義に批判的な論者(故・西部邁戦争論』など)は、絶対平和主義をガンジー主義や無抵抗主義に短絡的に結びつけ、その非現実性を嘲笑して論破した気になっていますが、それは無知による誤謬です。ガンジー主義や無抵抗主義も絶対平和主義の一種ではあるでしょうが、それは「殺さないためには殺されるしかない」という極限状況での最後の手段であり、そういう状況の発生を防ぐのが現実的な絶対平和主義というものです。

 では、絶対平和主義はいかにして実現可能か。シャンタル・ムフは(彼女の議論はおもに国内政治レベルですが)、敵対性むきだしの抗争を、ルールのある「闘技」に変える、というアイディアを提示しています。

 ムフの『闘技論』は未訳なので、ここからは私なりの「闘技」の解釈になります。

 アリストパネスの『平和』という劇は、反戦運動を、平和の女神を引っ張り出す綱引きになぞらえています。小川未明の『野ばら』は、敵味方の兵士が、将棋を通じて、将棋盤の上で争いつつもコミュニケーションを成立させていく様が描かれています。

 綱引きでも将棋でも、要は敵味方の間に、共通の「綱」ないしは「盤」を設けることで、戦争を、血を流さない闘技におきかえようという発想です。

 21世紀ではいかなる独裁国家やテロリストも、インターネットやサイバー空間という場を利用しなければ活動できない時代です。それを「綱」ないし「盤」とすることで、戦争を「闘技」に変えることはできないか、というのが私の目論見ですが、まだ抽象的にすぎると思われるので、とりあえず中間報告とします。