核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

大賀哲「「テロとの戦争」と政治的なるものの政治学―シャンタル・ムフの国際政治思想への展開」 その3

 「政治的なるもの」を忘却しているという理由で、ムフは各方面の政治思想を批判します。
 特にロールズへの批判に一節を割いているわけですが、当方がロールズに詳しくないこともあり、この節の検討は後日に廻させていただきます。代わりに数日前に『マルチチュード』を読んだばかりのネグリ&ハートへの批判を。

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 更にハート=ネグリの絶対的民主主義に触れ、彼らのプロジェクトは予期せぬ形で自由主義的コスモポリタリズムと結託して、主体間における闘技性、抗争性が否定されていると非難している。つまり『帝国』や『マルチチュード』で展開された所論は「コスモポリタリズムの超左翼版」に過ぎないのであり、グローバル市民社会への楽観論は温存されたままになっている。更に彼らのプロジェクトには確たる政治戦略―彼女の言葉を用いるならば政治的節合の契機―が決定的に抜け落ちている。
 (二一六ページ)
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 『マルチチュード』を読んだ今になってみれば、『超左翼版:』という批判も腑に落ちます(「毛沢東の農民政策を世界的に!」だもんなあ)。ムフの諸家への批判は、おおむね「楽観的にすぎる」という点に集約されるようです。
 ここまでが大賀論の「二」。「三」ではいよいよムフ自身の政治思想、および「テロとの戦争」へのムフの態度表明に入ります。