核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

ネグリ&ハート『マルチチュード(上)』『マルチチュード(下)』NHKブックス 二〇〇五 その3

 最初に読んだ時は「所詮マルクスではないか」と思ったものですが、再読して印象が変わりました。
 「所詮毛沢東ではないか」に。ネグリ&ハートは手を取り合って喜ぶかも知れませんが、ほめてません。
 
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 革命闘争の間、そして大躍進や文化大革命の時期にはさらに輪をかけて、毛沢東の政治的焦点は農民階級―あるがままの(原文傍点)農民ではなく、可能性としての(原文傍点)農民-に向けられた。毛沢東主義のプロジェクトの本質は、農民を政治的に変革するための努力にあったといえる。農民は長期にわたる革命プロセスのさまざまな段階を経ることによって、マルクスが認識していた受動性と孤立を克服し、コミュニケーション能力をもつ協働的な存在となり、能動的な集合的主体として統合されるようになるというものだ。
 毛沢東主義のプロジェクトが世界のどこにでも適用可能なのは、おもにこの意味においてである。
 『マルチチュード(上)』 二〇八ページ
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 ……その大躍進や文化大革命が、数千万人単位の犠牲者を出したと何度いえば。
 一九六八年頃の大江健三郎あたりの発言ならまだしも、原著は二〇〇四年です。大躍進や文化大革命の悲惨さがとうに知れ渡った時期に、著者たちは「毛沢東主義のプロジェクトが世界のどこにでも適用可能」と書いて
いるわけです。
 この箇所に限らず、同書が毛沢東を取り上げた箇所はすべて肯定的です。マルチチュードという目新しげな語が示すのは、毛沢東支配下人民公社紅衛兵のような陰惨な集団にすぎないのでしょうか。
 著者たちが〈帝国〉と名指す制度にも私は批判的ですが、毛沢東主義にはそれ以上に(比べ物にならないほど)批判的です。以前、ネグリ&ハートをリベラル的とか書いてしまったのは早とちりでした。