核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

ネグリ&ハート『マルチチュード(上)』『マルチチュード(下)』NHKブックス 二〇〇五 その1

 幾島幸子訳。水嶋一憲・市田良彦監修。副題「〈帝国〉時代の戦争と民主主義」。
 RMA(軍事革命)とか勉強になる箇所もありましたが、結論には同意できませんでした。

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 近代を通じて、そして今日もなお抵抗運動は、戦争とそれがもたらす暴力に立ち向かうことを余儀なくされ、そのさい暴力的手段を使うときもあれば、使わないときもあった―というより、解放のための偉大な戦争は最終的に「戦争に対する戦争」に向かうものであり、またそうあるべきだ、と言うべきなのかもしれない。「戦争に対する戦争」とは、すなわち戦争状態を恒久化し、不平等と抑圧のシステムを支える暴力の体制を破壊するための活発な取り組みのことだ。これはマルチチュードの民主主義を実現するために必要な条件である。
 『マルチチュード(上)』一二八ページ
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 ……同様の「戦争に対する戦争」論は下巻の二四〇ページ、「暴力の民主的使用」と題された章にもあり、著者たちの結論とみなしていいようです。
 一九二八(昭和三)年の反戦文学集『戦争に対する戦争』に私が批判的なことは前にも書きましたが、同じ批判を繰り返さなければならないようです。それは「純粋な平和主義」(下巻二四〇ページ)からほど遠いものだと。
 どうも著者たちは、〈帝国〉あるいは「暴力の体制」を打破するためなら、「民主的な暴力」の使用もやむをえないと考えているようです。無制限に暴力を賛美しているのでないことはわかりますが。
 下巻の六一~七三ページで、著者たちは想定される批判に応えています。「おまえたちは本当はただのレーニン主義者ではないか!」とか「ただのアナーキストではないか!」とか。そうは思いませんが、「所詮マルクスではないか」とは思います。著者たちは逆に喜ぶかも知れませんが、ほめてませんから。