以前にも引用した、木下尚江の一九二九(昭和四)年九月二十三日の発言です。
そういう木下もかつては社会主義者で、幸徳秋水、安倍磯雄らとともに社会民主党を結成したり(即日解散させられましたが)、日露戦争期には『平民新聞』で非戦論を訴えたりしていました。
そんな彼が社会主義を誤りと認めたのは、左右いずれの思想も「極」がつくとたいして変わらないもの(教条的・暴力的・排他的)になることに気づいたからではと思います。
木下の思惑はともかく、相反する二つの思想が、いつのまにか似てきてしまうというのはよくあることです。最近の例では、宗教的な反進化論と、それを批判する「新無神論」との間に、暴力的という意味での共通性が見受けられます。