核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

どうにか。

博士論文提出の前段階の申し込みを郵送してきました。
作業量は全然たいしたことなかったんですけど、疲れで一日ブログの更新を休んでしまったことをお詫びします。
以下の通り。ページ数が書いてないのは、3月2日の提出までに書き直したくなる可能性を考えてのことです。

 博士論文『明治の平和主義小説』 章立てと要旨                
                          
   博士論文 章立て
 序論 新聞(ニュース)はなぜ小説(フィクション)を必要としたのか
第一部 国家のための暴力は許されるか
 第一章 福地桜痴『仙居の夢』論―表象された代表議会制
 第二章 村井弦斎『匿名投書』論―自衛のための戦争は許されるか
 第三章 遅塚麗水『電話機』論―テクノロジーへの警告
第二部 言葉による暴力は許されるか
 第四章 村井弦斎『小説家』論―小説の面白さとは何か
 第五章 村井弦斎『釣道楽』論―進化論の受容と不安
 第六章 福地桜痴『女浪人』論―『主』を持たない者の革命
第三部 平和のための暴力は許されるか
 第七章 木下尚江『火の柱』論―実効性ある反戦小説のために
 第八章 木下尚江『良人の自白』論―非戦論における『公』と『私』
 第九章 木下尚江『墓場』論―非暴力的抵抗の挫折
結論 小説(フィクション)は新聞(ニュース)を変えられたか
(追記 「結論 小説(フィクション)は新聞(ニュース)を変えられるか」に改題」)

   博士論文 要旨
「平和主義小説」とは、戦争をはじめとする暴力を廃絶するために書かれた小説である、と本論は定義する。自由民権運動期の政治小説としてのみ読まれがちな『経国美談』を嚆矢として、文壇文学者ではなく新聞記者によって書かれた、一八九〇~一九〇八年(明治二三~四一年)の、従来の文学史が扱ってこなかった小説群を本論は分析対象とする。その作者たち(矢野龍渓福地桜痴村井弦斎・遅塚麗水・木下尚江)は政治的立場を異にし、党派で結ばれていたわけではないが、暴力に満ちた現実をただ模写するのではなく、積極的に変えようとする問題意識のあり方において共通性を持つ。
倫理・思想としての明治の平和主義小説の到達点(平和優先主義から絶対平和主義へ、と要約できる)を明らかにし、二一世紀における平和主義、というよりも平和そのものの糧とすることが、この博士論文の目的である。