核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

明治の平和主義小説

『明治の平和主義小説』、電子化されました。

http://ir.nul.nagoya-u.ac.jp/jspui/handle/2237/17966 上記アドレスの「view/open」で全文が読めます。 お急ぎの方は末尾の「結論」からお読みください。暴力の政治を越える、「政治的柔術」「道徳的柔術」について、ランドルとシャープを参照して論じてお…

村井弦斎 「感興録」(『婦人世界』1920年9月号)

村井弦斎が晩年に到達した世界平和論。黒岩比佐子さんの「村井弦斎の英文小説とマーク・トウェイン」(『図書』2009年7月)にも紹介されていますが、かぶらない範囲で引用してみます。「火星の人」という小見出しの章です(52~55ページ)。 ※ 地球…

黒岩比佐子 「村井弦斎の英文小説とマーク・トウェイン」(『図書』2009年7月)

もう4年も前の文章なのですが、前に国会図書館で検索した時には見つからなかったので、今まで見送っていました。不明を恥じる次第です。 村井弦斎が日露戦争期に発表した英文小説『花子』に、『トム・ソーヤの冒険』の作者が書き込みをした本が発見された、…

日本近代文学館は高かった

国会図書館にもなかったり、デジタル化作業中で閲覧不可の資料がけっこうたまったので行ってみたのですが。 まずJR山手線で渋谷まで行き、京王井の頭線で二駅(片道120円) そして入館料300円(初回のみ。割引あり)。 きわめつけは白黒コピーが1枚1…

有楽町博士

水道橋博士あり、御茶ノ水博士あり。有楽町博士がいてもいいのではないのでしょうか。秋葉原博士という説もありますが。世田谷は今回見送りで。

初かぜ

この二日間はブログも更新できない体調でしたが、ようやく回復しました。 明日は図書館で、デカルトと『サザエさんうちあけ話』借りてきます。

研究対象 第三類

私の研究対象には第一類(反戦小説)と第二類(戦争美化もの)があるわけですが、どちらの分類にも入らないけど、気になる作品があります。 たとえば動物の立場に仮託して、平和主義者も含めた人間のあり方を問い直す作品。アリストパネスの『鳥』や、仮名垣…

私にとって文学研究とは

今回は固い話をします。 私にとっての文学研究とは、「戦争や差別をなくすために、文学には何ができるか」を探究することです。 研究対象はおおむね二種類に分けられます。 第一類は、戦争を阻止・予防するために書かれた文学作品群。明治の木下尚江、古代ギ…

幸徳秋水 「遠征」(予告)

日清戦争期の新聞記者、幸徳伝次郎(秋水)が書いた短編小説。全集に収録されておらず、コピーも手元にないので、ひとまず予告のみ。 (2021・10・28 9年の時を経てコピーが見つかりました。詳細は↓) 幸徳秋水が書いた小説「遠征」 - 核兵器および…

カールおじさんの秘密

明治カールのイメージキャラクター、カールおじさん。 先日、公式サイトで帽子をぬいだ顔を見たら、見事なすだれ頭。帽子の上にはカエルが乗ってました。 つくづく味のある、いい顔をしています。しおあじとかチーズあじといった次元を超越しています。 ・・…

幸徳秋水 「死刑の前(腹案)」

(追記 青空文庫に「死刑の前」という題で収録されていました) 筑摩書房『近代日本思想大系 13 幸徳秋水集」(1975)収録。1911(明治44)年、まさに死刑執行の直前に書かれた告白です。 全五章を予定していたのにもかかわらず、第二章の冒頭ら…

管野須賀子 「絶交」 (予告)

まず姓名の表記について。個人全集の書名を確認したところ、くさかんむりの「菅野」ではなく、たけかんむりの「管野」だったので訂正します(私は逆方向によく間違われるのです)。 名前も「スガ」「すが」と表記される文献も多々ありますが、ひとまずは全集…

大逆事件の評価

博士論文の口頭審査でも問われ、愛読するあるブログでも話題になったこの問題。いずれは論文にしますので、今回は手短に。 被告24人のほとんどが冤罪であり、不当な裁判であったことは確かです。しかし、中心メンバーである管野須賀子・宮下太吉ら数人は確…

石井研堂 『明治事物起源』全八冊 ちくま学芸文庫 1997

石井研堂と碇ゲンドウって似てるな。という一日遅れのネタはともかく、明治研究を志す者にとって必須のデータベースです。 「万歳の始め」「秘密探偵業の始め」といった感じで、明治期に新しく始まった物事の由来を大量に集めた本です。 『まんがはじめて物…

『日本文学』2012年11月号 特集・受容と読者の近代

今月号の『日本文学』は気になる記事が多いのですが、一番気になった部分だけ引用してみます。 山田俊治氏の「三遊亭円朝の流通―傍聴筆記の受容と言文一致小説」8ページ上段に引用された、『読売新聞』1887(明治20)年4月13日の、坪内逍遥『当世…

仮名垣魯文 『西洋料理通』(予告)

村井弦斎の『食道楽』からさかのぼること約三十年。文学者による料理書の先駆的作品。 ずっと、そのうち近代デジタルライブラリーで読むかと思っていたのですが、どうも収録されていないようなので、次に大きい図書館に行った時にまとめ読みすることにします…

野崎左文 「私の見た明治文壇」(1927(昭和2)年) その3 日刊新聞印刷編

特に忙しいわけでもないのに、たびたび更新を休んですみません。 ブログでさえ毎日更新は手間なのに、明治初期の人々は日刊新聞なんてものをどうやって印刷していたのか。おなじみ「私の見た明治文壇」より。 ※ 其頃(引用者注 明治初期)は今(引用者注 昭…

野崎左文 「私の見た明治文壇」(1927(昭和2)年) その2 小説作法編

動物と人間についての論がとどこおり気味なので、魯文まわりの資料を先に集めることにしました。 弟子の野崎左文による、魯文の新聞小説の作法についての証言です。長いので要約で。 ・まず一つの材料をとらえて腹稿(あらすじ)を定める。 ・それを三十回~…

野崎左文 「私の見た明治文壇」(1927(昭和2)年)

仮名垣魯文の弟子による、食についての貴重な証言です。 角川書店『日本近代文学大系 第60巻 近代文学回想集』(1973(昭和48)年)より。 ※ (仮名垣魯文)翁の嗜好としては取立てゝいふ程のものもないが、酒は深く嗜まず甘い物も多くは食せず、唯…

明治ゼロ年代。

明治文学研究者と自称していながら、いわゆる開化期の文学については不勉強でした。 江戸前のわさびじょうゆに、生煮えの牛肉をぶちこんだ、まさに牛鍋の味。 「文明流」の弦斎コロッケとはまた別の味わいがあります。 まだ仮名垣魯文が提示した「動物に魂は…

万亭応賀 『和談三才図笑』(予告)

仮名垣魯文論が暗礁に乗り上げたというのに、手を広げていいのかという気はしますけど。 『明治文学全集』の解説を読んで、妙に気になった人です。 『和談三才図笑』は近代デジタルライブラリーにありましたけど、くずし字が読めるかどうか。問題は私のリテ…

仮名垣魯文の評価について

「「牛店雑談安愚楽鍋」の書き方は次のようなものであった。(引用省略)このような洒落と悪ふざけの混った戯文口調は巧妙であったが、小説の考え方は江戸戯作から一歩も出ていなかった」(伊藤整『日本文壇史1 開化期の人々』講談社文芸文庫 1994 より…

明治年間好評書籍大番附

2012年7月12日(http://blogs.yahoo.co.jp/fktouc18411906/archive/2012/07/12)にも孫引きで紹介した、『帝国教育』1911(明治43)年10月号の好評書籍大番附。このたび国会図書館にて現物を入手しました。 下段中央にひときわ大きく「村井弦…

「当世牛馬問答」さし絵

なぜか仮名垣魯文の『安愚楽鍋』は近代デジタルライブラリーに収録されていないようなので、筑摩『明治文学全集 1』からスキャンしてみました。著作権上の問題があればただちに削除して謝罪します。 ワインのぶどうやタバコの葉も、のまれた後でウシやウマ…

福沢諭吉 「肉食の説」(1871(明治3)年)

昨日はいそがしい日でした。行きの電車でヴァレリーの「テスト氏との一夜」を読み、帰りの電車でヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』を読み・・・。 「文学って何だっけ」と思いかけたところで仮名垣魯文の『安愚楽鍋』のアニマルライツ論を再読し、「これ…

仮名垣魯文 『安愚楽鍋』(1872(明治5)年) より 「当世牛馬問答」

牛鍋が流行した明治初期。洋服姿でワイングラスを傾けるウシと、江戸っ子姿のウマとの対談。 ※ 馬「牛公。久しく会わねえ内、手前は大層出世して、ラシャのマントルにズボンなんぞで、すっぱり西洋風になってしまったぜ。うまくやるな」 牛「おお馬か。手前…

「明治新聞雑誌文庫」訪問記

JR御茶ノ水駅からバスで東大構内へ。地下鉄で赤門方向から行った方が近かったのですが、まあ気分で。 赤門内のすぐ側にあるわけですが、半地下というか、妙にわかりづらい場所でした。 私のように東京大学とまったく縁のない人間でも、身分証明書(免許・保…

日露戦争前の新聞各紙の特色

伊藤整『日本文壇史10 新文学の群生期』(講談社文芸文庫 1996)より孫引き。確か山本武利『近代日本の新聞読者層』に同じ記事の正確な出典が載っていたのでいずれ調査します。 ※ 雑誌「中央公論」は、それ等の各新聞の特色を、次のような戯評によって…

久米邦武 「聖徳太子の対外硬」 『太陽』1904(明治37)年1月

日露戦争開戦のひと月前。「神道は祭天の古俗」の著者による聖徳太子論です。 聖徳太子の隋(中国)への対外硬(強硬な態度)を称揚する、いかにもこの時期の『太陽』な論なのですが、数えたら四回も「平和主義」という後が使われていました。いずれも「文明…

「年始芝居 四十の山賊」(『郵便報知新聞』1887(明治20)年1月)

亞利抜(アリバー)が「開(はぢ)け豆」と唱えると、そこには山賊が貯めた財宝が。 『郵便報知新聞』1887(明治20)年1月7日~15日。弦斎を追ってたらとんでもないものを見つけてしまいました。 おそらくは日本初のアラビアンナイト翻訳です。 な…