核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

明治の平和主義小説

「覚後庵主」は村井弦斎か?

先日展示されていた黒岩比佐子さんの書簡の中に、「弦斎居士」がデビューする以前に、「覚後庵主」なる人物の小説が『郵便報知新聞』に掲載されていたこと、「覚悟」という言葉を弦斎が愛好していたことから、もしかしたら弦斎の別名ではないでしょうか?と…

トルストイの東郷平八郎罵倒

日露戦争直後の1906(明治39)年、小説家の徳富健次郎(徳冨蘆花)がトルストイを訪問した時の話です。 ※ トルストイは戦後に日本人の精神状態を徳富にたずねた。徳富が、戦争は悲しむべきものだが、戦争が人を真面目にさせたのも確かである。東郷平八…

「村井弦斎『小説家』論―小説の面白さとは何か」 リニューアル中

既成の物語論や読者論をあてはめるのではなく、この小説そのものから帰納的に面白さの理論らしきものを引きずりだす、といった仕事になりそうです。 私は別に理論嫌いではありませんが、理論的アプローチが作品の魅力を殺すことになってはならないと、つねづ…

森田思軒 「小説の自叙体記述体」

村井弦斎の「小説家」(1891(明治24)年)を読んでいたら、「小説は自序体(じじよてい)で自分が主人公になつて」という耳慣れない言葉が出てきました。4年前(『国民之友』1887(明治20)年9月15日)に発表された、この森田思軒の「小説…

原抱一庵 『闇中政治家』

村井弦斎・遅塚麗水・村上浪六とともに、報知の四天王と呼ばれた新聞小説家、原抱一庵の代表作、『闇中政治家』を紹介します。 メディアも時期も私の守備範囲内であり、暴力否定がテーマといえなくもないのですが、『日本近代文学』2007(平成19)年1…

原抱一庵 「吾の昔」 その3 報知社革命編

『文藝界』1903(明治36)年7~12月。『明治文学全集26 根岸派文学集』筑摩書房 1981(昭和56)より引用。村井弦斎・遅塚麗水・村上浪六とともに報知の四天王と呼ばれた新聞小説家の回顧録です。 ※ 『報知叢話』は箇程評判であつても報知新…

原抱一庵 「吾の昔」 その2 最後の四天王編

『文藝界』1903(明治36)年7~12月。『明治文学全集26 根岸派文学集』筑摩書房 1981(昭和56)より引用。村井弦斎・遅塚麗水・村上浪六とともに報知の四天王と呼ばれた新聞小説家の回顧録です。 脱獄サスペンス小説『闇中政治家』がヒット…

村井弦斎 「新聞記者」 (『報知叢話』 1891(明治24)年 掲載)

「お嬢様、是れからは貴嬢も妾(わたくし)どもの仲間入りをなすッたのですから包まずお話し致しますが、実は妾も錦城新聞社のもので御座います」 ・・・令嬢記者と秘密探偵メイド。『謎解きはディナーのあとで』みたいな設定ですけど100年以上前の小説で…

高楠順次郎 「アリストフヮ子スの喜劇」(『帝国文学』 1904(明治37)年1月)

明治と古代ギリシアの夢のコラボ。 当ブログがたびたび取り上げてきた紀元前400年代の反戦喜劇作家アリストパネス(アリストパネース、またはアリストファネス。高楠の文では「アリストフヮ子ス」「アリストフヮネス」等と表記されています)の、日露戦争…

お代嬢の人気に嫉妬。

アートガレー神楽坂にて、黒岩比佐子さんの遺したノートと書簡を閲覧してきました。村井弦斎にあれほど深く感情移入していたにも関わらず、弦斎の日露戦争期の戦争協力ぶりは苦々しく思っていらっしゃったようです。生前に、戦争絶滅についてのお話をうかが…

原抱一庵 「吾の昔」

『文藝界』1903(明治36)年7~12月。『明治文学全集26 根岸派文学集』筑摩書房 1981(昭和56)より引用。村井弦斎・遅塚麗水・村上浪六とともに報知の四天王と呼ばれた新聞小説家の回顧録です。文体は昨日紹介した麗水の「記者生活三十七…

大町桂月 「現代不健全なる二思想」 『太陽』 1903(明治36)年11月

『近代文学評論大系 第2巻 明治期Ⅱ』(稲垣達郎・佐藤勝編 角川書店 1972(昭和47)年)、355~359ページ。「、」「○」「◎」三種類の傍点がびっしりとついていますが、わずらわしいので省略します。 ※ 近時、非戦争論を唱ふるものあり、又非国…

抱月子(島村抱月) 「小説を読む眼」 『読売新聞』 1895(明治28)年8月26日

『近代文学評論大系 第2巻 明治期Ⅱ』(稲垣達郎・佐藤勝編 角川書店 1972(昭和47)年)、34~35ページ収録。当時の読者層を分析した批評です。以下要約。 第一、文章を愛づる眼 (依田)学海など。古風の学者に多い。 第二、事柄を面白がる眼 最…

『近代文学評論大系 第2巻 明治期Ⅱ』(稲垣達郎・佐藤勝編 角川書店 1972(昭和47)年)

いずれ自分なりに明治の批評史をまとめてみたい。そんな野望を抱く私の愛読書です。 この巻は1895(明治28)年から1905(明治38)年までの文学評論を収録。 まずは日露戦争下の「平和主義」がらみを。 ※ 小説「火の柱」は木下尚江氏の著なり。著…

黒岩比佐子の遺した「世界」 「『食道楽』の人、村井弦斎」を見て、聴いて、食べる。

イベントの紹介です。2012年8月4日・5日。アートガレー神楽坂にて。 黒岩比佐子の遺した「世界」 「『食道楽』の人、村井弦斎」を見て、聴いて、食べる。 会場・時間などの詳細はこちらの、アートガレー神楽坂様のサイトをごらんください。 http://ar…

『原敬関係文書 第八巻』による1906(明治39)年の木下尚江

前回に引き続き、『原敬関係文書 第八巻』(原敬文書研究会編 日本放送出版会 1987)313~314ページの調査報告を紹介します。当時の原敬は内務大臣として社会主義者を取り締まる側だったわけですが、彼の残した資料は役に立ってくれています。 ※ …

『原敬関係文書 第八巻』による木下尚江の生計

1907(明治40)年前後の社会情勢を知りたい方は必見の、『原敬関係文書 第八巻』(原敬文書研究会編 日本放送出版会 1987)。当時の新聞や雑誌の発行部数や関係者一覧も載ってます。 今回取り上げるのは、原敬が最初に内務大臣になった時期(19…

木下尚江 「小説始末記」その2(『木下尚江全集』第一九巻 教文館 2003)

一つ「小説」に立て籠もつて、非戦論を書いてやらう。そんな動機でスタートした尚江の連載小説。 ※ 偖て明治三十七年の元日から、「火の柱」が毎日新聞の第一面へ出た。平福(百穂)君が矢張り画を書ひて呉れた。実際勿体ないことであつた。 ◇ 君よ。是れで…

木下尚江 「小説始末記」(『木下尚江全集』第一九巻 教文館 2003)

絶対平和主義者はいかにして小説を書くに至ったか。その貴重な証言です。 ほぼ同じ内容の書簡もあるのですが、今回は全集初収録の早稲田草稿2006バージョンで。 ※ 君よ。 日露戦争時代の新聞社で何をして居たかと云ふ質問に対し、「始めて小説と云ふものを書…

明治年間好評書籍(『婦女新聞』1911(明治44)年10月20日)

元は『帝国教育』の10月号(?)掲載ですが、ひとまず孫引きで。明治末期における文壇格付けランキングの一例として紹介します。 ※ 今月の帝国教育に明治年間好評書籍大番附といふのが載つて居るが一寸面白い、勧進元が食道楽(しよくだうらく)、行司が新…

伊藤秀雄 『明治の探偵小説』(晶文社 1986)

中学時代に読んだ黒岩涙香訳『死美人』の面白さが忘れられず、川崎市役所で働きながら涙香のコレクションを続けた(あとがきより)著者による、膨大な情報量の明治探偵小説史です。まさに労作。 1887(明治20)年11月、饗庭篁村がポーの「黒猫」を(…

年表の重要性

ツキジデスの『戦史』を読んでたらねむくなりまして、また更新を休んでしまいました。 いくら私が古代ギリシア好きでも、あそこまで細密だと厳しいです。ちょっと油断すると場面が変わりまして、本筋が何だったか忘れそうになります。いや、私にとっての本筋…

平和主義小説の「面白さ」について

反戦小説だの平和主義小説だのって、どうせ「戦争はやめましょう」「暴力はいけません」ってお説教ばっかりで、今読んでも全然面白くないんじゃないの? そう思われる方は多いと思いますし、現に私もゼミの発表時にそうしたご意見を受けたことがあります。 …

「非戦論者」同時代の評価

『光』誌1906(明治39)年11月5日、第一巻第二六号、(六)ページ。 そもそも私が同作品を知ったきっかけがこれでした。 ※ 新刊紹介 ●文庫 (十月号) 本誌には非戦論者といふ長扁小説あり、紛々たる戦争小説と異なり、博愛の大義を説き、上帝の福…

わかおみ姓

小説「非戦論者」の作者、若麻績長風の姓についてですが、ネットで検索したところ、若麻績(わかおみ)という珍しい姓は長野県善光寺の住職の家系だそうです。 「非戦論者」では、仏教の僧侶は日露戦争を正当化する側として描かれていました。もし長風氏が善…

若麻績長風 「非戦論者」(1906(明治39)年)

『文庫』1906(明治39)年10月15日、第32巻第5号収録。 作者についての調査がいきとどかなかったので(なんて読むのかさえ知りません)、学位請求論文ではふれませんでしたが、隠れた平和主義小説の佳作です。 日露戦争期(1904~05年)…

碧川企救男 「文明史上より見たる日露戦争」

『小樽新聞』1904(明治37)年3月4日~6日一面最上段連載。碧川企救男(署名は「碧川生」)の評論「文明史上より見たる日露戦争」を紹介します。 「一個の老衰国と二個の瀕死国と二個の未知国」この五国の将来が、十九世紀が二十世紀に残した疑問だ…

今回入手した碧川企救男文献

国会図書館所蔵のマイクロリール版『小樽新聞』は、1904(明治37)年、つまり日露戦争開戦の年に多々欠落がありまして。具体的には1~2月、5~6月、9月がまるごと欠けております。ひとまず今回入手したコピーは。 1904(明治37)年3月4、…

碧川企救男書誌―日露戦争期編

荻野富士夫氏の論文「碧川企救男小論」(『初期社会主義研究』12号 1999年 249-272ページ)に、企救男が日露戦争(1904年2月~1905年9月)前後に『小樽新聞』で書いた作品のリストがありました。 『小樽新聞』現物はまだ見ていないの…

マイクロリールとマイクロフィルム

国会図書館で古い新聞や雑誌を読もうとすると、たいてい原資料保護のため、マイクロフィルムの形で出てきます。今回はマイクロフィルムの話でも。 シート状の「マイクロフィッシュ」と、巨大なセロテープ状の「マイクロリール」の2種類があります。 フィッ…