1887(明治20)年11月、饗庭篁村がポーの「黒猫」を(3日~9日)、竹の舎主人が「ルーモルグの人殺し」を(12月14日~30日)、『読売新聞』に連載しました。
翌1888(明治21)年1月、黒岩涙香が最初の訳『法廷の美人』を『今日新聞』に発表し、同年6月に須藤南翠がその影響下で創作探偵小説『殺人犯』を刊行しました(犯罪実録風で、特に推理要素はないようです)。
私の専門に近いとこでは、1888(明治21)年4月27日~7月19日に『郵便報知新聞』が『幻影』を連載しています(『嘉坡(シンガポール)通信・報知叢談』の一つ。訳者はおそらく森田思軒。原作原著者不明)。盲目の少年と記憶喪失の少女が、共に遭遇した殺人事件の謎を解くというサスペンスもので、今読んでも面白そうです(『報知叢談』は未読なのでした)。
南翠が翌1889(明治22)年に書いた『朧月夜』(『新小説』1月。同年刊行)は、悪の組織のボス三人が壮絶な争いを繰り広げる、『血の収穫』か『野望の王国』みたいな話で、これも私の好みかもしれません(好みなのか)。
同じく1889(明治22)年の涙香翻案『真ツ暗』(『絵入自由新聞』8月9日~10月26日)では、連載途中で読者への挑戦状をのせ、寄せられた推理を掲載していました。投書は200通を越えました。
だいたいこの1888(明治21)年前後が、日本における探偵小説の開始時期といえます。
・・・はっ、「弦斎を探偵役にした小説」ならあった。火坂雅志の『美食探偵』。いずれ読みます。