核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

森田思軒 「小説の自叙体記述体」

 村井弦斎の「小説家」(1891(明治24)年)を読んでいたら、「小説は自序体(じじよてい)で自分が主人公になつて」という耳慣れない言葉が出てきました。4年前(『国民之友』1887(明治20)年9月15日)に発表された、この森田思軒の「小説の自叙体記述体」が出典のようです(引用は『明治文学全集26 根岸派文学集』より)。
 要は、一人称小説(「私は・・・」)と三人称小説(「彼は・・・」)の違いについての議論です。
 一人称小説というと私小説を連想される方もいらっしゃるかとは思いますが(「私小説って何?」という方。別に知らなくてもさしつかえありません)、思軒がここで問題にしているのは、「天道歴程、ヂルブラス、魯敏孫(ロビンソン)漂流記」のごとき、「己を以て書中の一人物」を演技する一人称小説のことです。
 一長一短をあげると、
 
 自叙体 某の境遇に立ちし時の感情有様を刻画して(略)現に之を目(目偏に者)する如き想あらしむる
 記述体 衆景衆情を一時に写す(略)表裏幽明を一斉に描く
 
 なので、どちらが優れているかは思軒は断言していません。テーマではなくカメラワーク、焦点化の問題といったところでしょうか。
 なお冒頭にあげた「小説家」は、ヒロインの名前が「お君」だったりします。日本初の二人称小説!というのは無理があるか。