荻野富士夫氏の論文「碧川企救男小論」(『初期社会主義研究』12号 1999年 249-272ページ)に、企救男が日露戦争(1904年2月~1905年9月)前後に『小樽新聞』で書いた作品のリストがありました。
『小樽新聞』現物はまだ見ていないのですが、心覚えとしてここに記しておきます。
年表形式に直しましたが、かっこ内のあらすじはほぼ荻野論によります。
1902(明治35)年8月31日 「仲仕の権太」(小説。港湾労働者が主人公)
9月14日 「迷悟」(小説。理想の家庭を築くのに挫折しかけた男の悲哀)
9月21日 「朝帰り」(小説。中等官吏の家庭の不和)
1903(明治36)年8月5日 「悲史 カタリナの溝渠」(1881年のアレクサンドル2世暗殺を扱った小説)
10月15日 上田周太郎(碧川の所属する教会の牧師)の投書、「非戦論」を掲載
3月10~21日 「憐なる軍人家族」(軍人家族の困窮を訴える。読者から寄贈が相つぐ)
3月21日 「軍人の子」(小説。寄付金をだせずいじめられる軍人の子)
3月27日 「軍人家族の慰籍」(「慰藉」か。軍人家族の救済を説く)
4月18日 「徴発馬」(小説。逃走した元騎兵が愛馬に語りかける)
6月頃 最初の単行本『野百合』(博愛の道を説き世の不仁不義の徒を感化せしめん) 6月~7月 「戦後の日本」(日本が勝利して二年後が舞台。破天荒な未来小説)
7月31日 「露国内相の暗殺」(「吾人も亦此の圧政家の横死に快哉を叫ぶ」)
10月2日 「征途の友に与ふるの書」(兵士に「巧みに生きよ」と呼びかける)
11月3日 「天長節」(小説。軍人遺族のロシア兵捕虜との親愛)
「若松潮陵を送る」(同僚の従軍記者を送る文)
1905(明治38)年 2月6日 「小田島中尉の訃」(友人の戦死を受けて書かれた一文)
2月8日 「露国の二大思潮」(トルストイの宗教思想を紹介)
4月~6月 「大漁岩」(小説。ユニークな恋愛論)
8月~ 「女の恨」(小説。男子の悪徳への批判)
・・・1904年の3月~7月は必見。今、小樽が熱い。