核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

大町桂月 「現代不健全なる二思想」 『太陽』 1903(明治36)年11月

 『近代文学評論大系 第2巻 明治期Ⅱ』(稲垣達郎・佐藤勝編 角川書店 1972(昭和47)年)、355~359ページ。「、」「○」「◎」三種類の傍点がびっしりとついていますが、わずらわしいので省略します。
 
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 近時、非戦争論を唱ふるものあり、又非国家論を唱ふるものあり。われは之を目して、現代不健全なる二思想といふに躊躇せず。
 この二思想は、うるさきまでに、帝国文学に於て、繰りかへされたり。新聞にも、非戦争論は、内村鑑三氏の筆によりて、萬朝報紙にあらはれしが、内村、幸徳(秋水)、堺(利彦)三氏は、其主義終に黒岩(涙香)氏等と相容れざるを以て、朝報社を去れり。
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 では、桂月の理解した非戦争論とは。
 
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 瑞西といふ小国あり、これは美なる山水を有し、精巧なる工藝を有す。譬ふれば、かはいらしき小児の如し。小児の笑ふ処敵を見ず、猶太人の如く軽蔑せられずして、世界列強にかはいがられ、武を以て国を守る必要なく、至極気楽也。
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 武装中立国家スイスの歴史をなんだと思ってるんでしょうか。明治人の名誉のために言うと、非戦争派の一人安部磯雄が書いた『地上の理想国瑞西』(1904(明治37)年5月)は、きちんとスイス独立の苦難の歴史と現状をふまえた上で、その軍備の負担の重さに同情しています。上記のごとき無知をさらけだしたあげく、「戦争は宇宙の命ずるもの也」と結論する大町桂月とは比較になりません。
 こういうのを「論」だと思うから腹が立つんだ。天下の『太陽』や『帝国文学』も無視できないほど、非戦争論が高まっていた「史料」だと、前向きにとらえることにします。