核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

『日本文学』2012年11月号 特集・受容と読者の近代

 今月号の『日本文学』は気になる記事が多いのですが、一番気になった部分だけ引用してみます。
 山田俊治氏の「三遊亭円朝の流通―傍聴筆記の受容と言文一致小説」8ページ上段に引用された、『読売新聞』1887(明治20)年4月13日の、坪内逍遥当世書生気質』への批判の投書。
 
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 「読売新聞」寄書欄に贔屓目道人「学術上より春の屋主人を罵る」が掲載されるのである。「ナンダあの書ざまア煮きらぬ俗語で下卑た文章以前の文がズートましだ」として、「よしんば通じてもあの腕ぢやア三馬が冷かさア一九が舌を出さア円朝が笑はアあんな小説を因果で読むなら政事の小説を読まされた方がズートお冥加だ」と、口語的な「言」による語りは円朝にも及ばないとして批判されるのである。
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 題名通り、山田論の関心は円朝と言文一致小説の比較にあるため、「政事の小説を読まされた方がズートお冥加だ」についての論評はありません。
 ただ私としては、「大新聞」(おおしんぶん。政治問題を扱う新聞)ではなく小新聞(こしんぶん。社会の事件を主に扱う新聞)である当時の『読売新聞』に、逍遥よりも政治小説の芸術的価値を優位におく投書が掲載された事実を興味深く思うのです。ほんの一例にすぎないことは承知の上で。