(追記 青空文庫に「死刑の前」という題で収録されていました)
全五章を予定していたのにもかかわらず、第二章の冒頭らしき箇所、「以下少しく私の運命観を語りたいと思ふ」で(中絶)されているのが実に痛ましい文章ですが、それでも彼に同情する気にはなりません。
幸徳秋水はこの文で繰り返し、「私自身に取ては、死刑は何でもないのである」と繰り返しています。確かに彼自身や、中核メンバーの管野須賀子・宮下太吉・新村忠雄にとっては覚悟の上であり、今更天皇や政府に減刑を求める気などなかったのでしょう。
しかし、「幸徳から巴里コンミュンの話を聞た」といった薄弱なつながりだけで死刑を宣告された、大石・松尾ら二十名の冤罪メンバーに対してそれですむのか。彼らの罪を軽くしようという配慮は、この「死刑の前」や「獄中手記」(同書収録)からは感じられません。
明治政府側の暴挙も許しがたいですけれど、幸徳や管野を悲劇のヒーローやヒロインに仕立てるがごとき風潮にも、私は賛同できません。