核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

野崎左文 「私の見た明治文壇」(1927(昭和2)年)

 仮名垣魯文の弟子による、食についての貴重な証言です。
 角川書店『日本近代文学大系 第60巻 近代文学回想集』(1973(昭和48)年)より。
 
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 (仮名垣魯文)翁の嗜好としては取立てゝいふ程のものもないが、酒は深く嗜まず甘い物も多くは食せず、唯食道楽として濃厚な鰻、天麩羅、もゝんぢい屋(原注より イノシシやシカの肉を売っていた店)の猪肉等が最も好物であつた。観る物では芝居、聴く物では常磐津や清元の浄瑠璃で、自身でも若い頃には常磐津の稽古所へ通つた事もあつたと聞いて居る。
 (228ページ)
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 ・・・あんだけ牛鍋牛鍋言ってたのに、別に好物ではなかったようです。「(牛鍋を知った後では)もう紅葉(シカ)や牡丹(イノシシ)は食えやせん」というセリフもあったはずなのですが。
 魯文は「○垣×文」という筆名の弟子を大量に養成していたのですが、かろうじて文学史に残ったのがこの野崎(蟹垣)左文。角川版の全集には一部しか収録されていないのですが、明治初期文学の研究を志す者としては全文を熟読する必要がありそうです。