核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

野崎左文 「私の見た明治文壇」(1927(昭和2)年) その2 小説作法編

 動物と人間についての論がとどこおり気味なので、魯文まわりの資料を先に集めることにしました。
 弟子の野崎左文による、魯文の新聞小説の作法についての証言です。長いので要約で。
 
 ・まず一つの材料をとらえて腹稿(あらすじ)を定める。
 ・それを三十回~四十回の回数に分け、脚色(しくみ。何回は誰々が船で出会うとか、何回は山で遭難するとか)を覚書に記す。
 ・この覚書をもとに下絵(作者自身によるさし絵)を四五回ずつ描いて画家に送り、新聞用のさし絵を注文する。
 ・当時の画家は時代考証など知らないので、下絵には時代背景や人物設定、ネコ一匹のあしらいまで細かく注文を書いておく。
 ・できあがったさし絵の版木と覚書を見ながら、「その絵に合うように」一回ずつその日その日に原稿を書く。
 ・植字工もあてにならないので、ふりがなはすべて自分でふる。
 ・本文が進み過ぎると絵が追いつかないので、ストーリーと関係のない風景画を事前に用意しておく。
 ・それでも間に合わない際は、「画家病気のため本日のさし絵を略す」となる(少年ジャンプのようだ)。
 ・このように忙しいので、死んだはずの悪役をうっかり出してしまったこともある(これもキン肉マンの悪魔超人みたいです。ゆでたまご先生も仮名垣魯文なみに忙しかったのでしょう)。
 
 『安愚楽鍋』は新聞連載小説ではないのですが、あのウシとウマの絵も、魯文が下絵を描いた可能性は高そうです。