核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

『小説 子宝 後編』(『婦人世界』1914(大正3)年1月号)

 危機を乗り越えた源次・喜代子夫妻のその後が、さし絵つき年表形式で語られます。『武士沢レシーブ』の最終回みたいな感じで。
 
 一年後 男子出生
 二年後 源次慈善病院を設立し房子献身的に働く 大磯分院
 五年後 源次洋行して帰り一大工場を創立す
 六年後 源次の所有せる鉱山にラジウム発見され梅岡理学士急行
 七年後 梅岡男爵女学校を設立し体育を重じ健康なる女子を養成す
 九年後 能登に於て剛蔵夫婦公共事業に盡し表彰さる
 十年後 喜代子五人の子福者となり老母に孝養厚し
 
 …以上、1ページにまとまってます。
 
 担当「村井先生、打ち切りです。最終回は1ページでお願いします」
 弦斎「もう絶対『婦人世界』には書きませんからね!」
 
 というわけではなく、「赤子戯画」との署名と、○の中に「赤」のサインがあります。さし絵画家による完結記念おまけ企画なのでしょう。
 お瀧という最強の敵と和解してしまったら、『子宝』にはもう語るべき物語は残されていないわけで、後はめでたしめでたししかないんでしょう。ただ、「女学校を設立し体育を重んじ」のくだりは、さすがに『子宝』を読み込んでいます。