養子に行った少年の葛藤、という点など、『子宝』は弦斎の代表作の一つ『釣道楽』と多くの共通点を持つのですが、違う点もあります。たとえば動物と人間の関係について。
お瀧のいけずっぷりに苦しめられた末、ついに大病を患った喜代子。漁師出身の夫源次は、回復祈願として、鰻(うなぎ)屋の鰻を助けて川に放してやろうとします。喜代子の兄で源次の幼馴染敏雄は、「鰻を川へ放して何の効能があるか」と怪しみますが…。
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「敏雄君、何の効能があるかとは妙な言葉だネ、僕は喜代子が危急の際に、気楽な事をして遊んでゐる訳ぢやないよ、設(たと)ひ効能があつても無くても、僕は喜代子の為めに善根を施して、少しでも善い事のある様にと禱(いの)つてゐる、
(略。大磯の漁師の間では、身内に大病人があると殺生を避ける風習があると語り)
鰻を助けたからと云つて、喜代子の病気が快(よ)くならう筈もないが、少しでも善事を行つて置いたら、何か冥冥の中に喜代子の為めにならぬ事はあるまい」
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…この作品単体だと何てこともないのですが、『釣道楽』と比較すると感に堪えぬものがあります。人間は動物とは違う、科学に背き迷信に走るのは動物性の発露だと、あれだけ語っていた弦斎が。