村井弦斎の恋愛観について、相反するように見える二つの意見があります。
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弦斎は恋愛を推奨したが、結婚に至らない性関係は強く否定していた。愛することが人間の自然な情なら、自制することもまた人間性の重要な側面なのである。
長山靖生『奇想科学の冒険 近代日本を騒がせた夢想家たち』 平凡社新書 二〇〇七 一四四ページ
弦斎にはほかに「桜の御所」などの歴史小説もあるが、いわゆる恋愛小説は書かなかった。弦斎が恋愛を「智徳を欠きたる人間自然の発情」と見ていたからで、むしろ親や周囲の納得する結婚を奨励していたのである。
小谷野敦『忘れられたベストセラー作家』 イースト・プレス 二〇一八 五三ページ
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結局、弦斎は恋愛を推奨していたのか否定していたのか。登場人物の発言のレベルで見れば、小谷野論のような、恋愛を否定する論には事欠きません。たとえば『女道楽』の青水清の説。
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「人の道は動物性の自然に遠ざかつて高尚なる覚悟の範囲内に入るほど進歩したと云ふのです。然るに自然の愛とか自然の美だとか云つて遂には恋愛までも神聖なものと云ふに至つては人の道をして動物性に逆戻りさせる様なものです」
村井弦斎『女道楽』 一九〇三 四一一ページ
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といった具合に、恋愛を野蛮なものとして攻撃する議論が長々と続きます。しかし、この説教を聞いた「金山の息子」がそれに服したかというとそうではなく、相思相愛のお筆嬢と幸福な家庭を築いているのです。相思相愛の二人が最後には結ばれるという展開は多く、その意味では長山論にも一理あります。
矛盾は長山・小谷野両氏の間にあるというより、弦斎自身の恋愛観にあるといえそうです。自然の恋愛を野蛮なものとして排除する「父」弦斎と、それに抗して愛を成就しようとする「息子」弦斎。