村井弦斎が絵画芸術について語る、珍しい一場面です。
正確には、お富嬢に肖像画のモデルを頼みに来た、馨少年の兄の貢君のセリフです。
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我邦にも大分油絵が盛(さかん)になつたが更に油絵らしい大作も見受けない、それと云ふのが畢竟油絵の趣意を誤解して画題になるべき物を選ばないからだ、風景と云へば田舎の百姓家でも描き度(た)がり、人物と云へば守り子かお三どんの様なものを選ぶ、(略)
油絵の趣意は最も高尚なる理想を以て高尚なる精神を描き出すべきもので古代の有名なる画師は多く神の像を描いたものだ、
(略。神を描くには高尚な精神が必要になる、日本の美術も神仏像から始まったとの趣旨)
神仏の画の上乗なるものは之に対して自(おのづか)ら敬慕の念を起こす、あゝいかにも立派だとかいかにも美しいとかいかにも尊いとか思つて物に対する時は自分の心も自然とその立派なる所へ引入れられて胸中の邪念が無くなつて了(しま)ふ、
(「富士の巻」 127/168)
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ただ、このへんの芸術論で論文を書こうとすると、審美学だの美学だのの文献をどっさり読むはめになるんだろうなあ。高山樗牛とかは苦手でして。