核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

第五反論 その3 人間と動物の間編

 前に書きかけた仮名垣魯文論を凍結処分にしたのは、魯文よりもまず私自身が、人間と動物の間について、明確な線を引くことができなかったからでした。
 その点デカルトは、「人間には理性がある。動物にはない」と明言しています。今回はそれへのガッサンディの反論を紹介します。文中の「あなた」はすべてデカルトを指しています。
 
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 あなたは言われる。「私は自由である。そして退散[後退]からも、追求[前進]からも等しくひとを転ぜしめる力が私のうちにある」と。けれども明らかに同じことを、動物において、かの認識する原理が行なうのです。犬は時としておどかしや殴打を少しも恐れず、見つけた食物へ飛びかかって行くということが見られます。それと何と似たことを人間もしばしば行なうことでしょう。(略)
 あなたは言われる、「動物には理性が欠けている」と。しかしたしかに彼らには人間的理性は欠如しているとしても、彼らなりの理性を欠いているのではありません。(略)
 「彼らは推理しない」とあなたは言われる。しかし彼らは人間ほど完全には推理しませんし、人間ほど多くのことについて推理しませんが、それでも推理しますし、また、[人間の場合とは]より多くより少なくという程度の違い以外には、何の違いもないと思われます。
 「彼らは語らない」とあなたは言われる。けれども彼らは(人間ではないのですから)人間の音声を発しはしませんが、しかし彼らに特有の音声は発しますし、われわれがわれわれの音声を用いるのと同様の仕方で、彼ら自身の音声を用いるのです。
 (326ページ)
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 私はデカルト村井弦斎と同じく、人間と動物の間には明確な一線があると考える派なのですが、ガッサンディの論は説得力があります。「ブタは人間の言葉がしゃべれない」のではなく、「人間にはブタの言葉が理解できない」だけだという論は、17世紀のフランスにもあったわけです。さかのぼれば古代ギリシアの自然哲学にも。