核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

第五反論 その2

 デカルトの、「神の存在論的証明」は、すべての人間が同じ「神の観念」を持つ、ということを大前提にしているわけです。
 そこで私は徳川家康だの七福神だのを引き合いに出してつっこんできたわけですが、ついにデカルトと同国同時代の人ガッサンディからも同じつっこみが入りました。
 
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 もし観念が神によって刻印されたとすれば、その観念はすべての者に、そして一つの同一のものとして、等しく刻印されているはずであり、かくてすべての人間が神を同じような形姿や形象のもとに把握し、同じ特質を彼に帰属させ、明らかに同じことを彼について考えるはずでしょうから。けれども事実はそれとは反対であるということはきわめてよく知られていることです。
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 ・・・本当に、事実はデカルトの哲学とは反対なのです。ヨーロッパではキリスト教に反するとされた者が火あぶりにされ、日本ではキリスト教徒が火あぶりにされる。17世紀とはそういう野蛮な時代でした。全人類が唯一の神によって創造されたのだとしたら、ずいぶん妙な創造をしたものです。