核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

第五反論 その1(白水社 『デカルト著作集 2』1973 より)

 「頭脳にきわめて悪い影響を及ぼすいとわしい、濃密な蒸気、もしくは煙、のごときものによってあなたが妨げられたり、あるいはかきみだされたりすることはありえない、ということを証明せねばならないでしょう」(316ページ)。
 花粉症だか大気汚染のせいか知りませんが、物質が思考能力に悪影響を及ぼす例は確実にあるわけで。
 精神と物質を明確に区切ろうとするデカルトに対して、反論者ガッサンディは「どのような物体でも、それをなんらかの仕方で配置することによってそれら[の物体的本性]をして思惟することができるようにととのえうるものではないということが証明されねばなりません」と迫ります。まんざら小林秀雄の「常識」とも無関係ではないのですが、その件はデカルトの『省察』が片付いてからとします。
 ガッサンディの反論はこれまでの4人、特にホッブズと重複するところも多いのですが、ホッブズよりもデカルトの立場を理解した上で、より踏み込んだ議論を求めているように思われます。
 たびたび問題になってきた、デカルトの「神の観念」について。「真面目に話し合いましょう。そして率直に述べていただきたいのです。あなたが神について語る時に発するかの音声を、あなたは、あなたが共に生きてきた人間の社会から[知り]得てきたのではありませんか」(352~353ページ)。もしデカルトがフランスでなく、アジアやアフリカに生まれていたら、それでも彼は同じ「神の観念」を持っていたかどうかです。
 そして「欠如は神に由来しない」という、デカルトの弁神論について。「なぜ神が、人間によって判断されることを欲したかのわずかのものごとに対して、それに相応しくない混乱した不確実な能力を付与したのかという点が、きわめて不可思議なことなのです」(375ページ)。
 書き写しているうちになんか面白くなってきたので、もう少し続けることにします。やる気が戻ってきました。物質に影響されやすい精神の一例。