核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

#哲学

仲正昌樹『ヘーゲルを越えるヘーゲル』講談社現代新書 二〇一八

越えようがしょせんヘーゲルはヘーゲル。そんな印象しか持てませんでした。 コジェーヴだラカンだハーバーマスだと仰々しく名前を並べても、 ※ 現実の闘争や消耗戦をも肯定し、自らの理論体系に積極的に組み込むところにヘーゲルの歴史哲学の特徴がある。ナ…

水本正晴「ゾンビの可能性」(『科学哲学』 2006)

心と脳の問題について調べはじめると、チャルマーズのゾンビ論法は避けて通れない話題のようです。 ここでいうゾンビ(水本論のいう機能的ゾンビ)とはモンスターのたぐいではなく、人間とまったく同じ身体・頭脳を持ちながら、クオリア(感覚質。いわゆる「…

星一『官吏学 第三巻』における自由意志説

※ 人には自由意思あり環境に対し順応し衛禦(えいぎょ?)し改造すと雖、其自由たる相対的 Relative にして絶対的 Absolute にあらず、必ず統合を要すべき限界点あり、 (略) 要するに人類の自由意思とは自他の統合を得る方法を選ぶの自由を意味し、無制限…

ヘーゲル「歴史哲学講義(上)』(長谷川宏訳 岩波文庫 1994 原著は1822年の講義録より)

「事実そのままの歴史」ではなく、理性によってとらえられた「哲学的な歴史」というふれこみです。…が、読んでいるとヘーゲルのいう理性というやつに、疑問を感じずにはいられません。 たとえば序論中の、以下のアフリカ人の記述。 ※ 黒人は道徳的感情がまっ…

金谷佳一「ヘーゲルの戦争観」(『鳥取環境大学紀要』第5号 2007・3) その2

ヘーゲルの戦争観について、金谷論文も当ブログと同じく、『世界の名著35 ヘーゲル』収録の『法の哲学』(藤野・赤澤訳 583ページ)を参照していますので、そちらから引用します。 ※ 現世の財物と事物のはかなさということは、いつもならお説教ののきま…

金谷佳一「ヘーゲルの戦争観」(『鳥取環境大学紀要』第5号 2007・3) その1

わかりづらいと評判のヘーゲル哲学の中で、群を抜いてわかりやすいのが戦争賛美の部分です。それゆえにそこだけを取り上げるのもどうかと思い、まずは先行論文を読んでみたのですが… やっぱり戦争賛美としか言いようがない、というのが私の結論です。くわし…

岩崎武雄編『世界の名著35 ヘーゲル』(中央公論社 1967)

「理想的なものは現実的であり、現実的なものは理想的である」の出典探しに少し手間取りました。かつて一度は読んでいるはずの、『法の哲学』序文。 ※ 理性的であるものこそ現実的であり、 現実的であるものこそ理性的である。 (『世界の名著35 ヘーゲル…

ヘーゲルか…

「すべて理想的なものは現実的であり…」の一節が、どういう文脈で出てきたかちょっと気になりまして。明日読んでみます。

快楽と幸福(『食道楽 続篇 秋の巻』より)

論じつくされた問題ではありますが、このブログで扱うのは初めてのはずなので。村井弦斎『食道楽 続篇 秋の巻』「第二百二十三 快楽と幸福」より、弦斎の幸福観を引いてみます。 ※ 「世間にはよく快楽と幸福を混同する人があるけれど快楽と幸福とは全く別な…

土田杏村「転向没落問題・自由主義・戦争論」(『経済往来』1933(昭和8)年8月号)

河合栄治郎の「混沌たる思想界」の半年前に出た、土田杏村の時事論文です。 直接に河合を名指し批判してはいないのですが、「自由主義」への批判には力を入れており、読み比べる価値はあると判断しました。 ネット上でも読めますが、今回の引用は、『近代日…

清水真木『忘れられた哲学者 土田杏村と文化への問い』(中公新書 2013)

忘れられた哲学者(私は覚えてます)こと、土田杏村(つちだきょうそん 1891~1934)を再評価する新書です。 (以下、7月16日23時55分追記) 務台理作の編んだ土田杏村全集には、代表作である『象徴の哲学』が収録されておらず、これなくして…

「王権神授説への批判」、もうちょっとだけ続けます。

デカルトの時は長くかかりすぎたので、今回はもうちょっと手短にして、きりのいいところで終わらせます。 そろそろ、日本文学関係も書きたくなってきましたので。

ロックの王権神授説批判

『世界の名著 32 ロック ヒューム』(中央公論新社 1980)収録の『統治論』より。 『統治論二篇』または『市民政府二論』(原題は"Two Treatises of Government"。1688刊行)の後半部分にあたります。 フィルマーの王権神授説を批判しているのは前…

ホッブズ『リヴァイアサン』における平和観の問題点

ホッブズの言う平和とは国家「内」の平和に限られており、国家「間」の平和ではない。それが問題点です。 「自然状態は万人の万人に対する戦いであり、コモン‐ウェルス(国家)とはその状態を脱するために設立された」というのが『リヴァイアサン』の主題で…

『世界の名著 32 ロック ヒューム』(中央公論新社 1980)

私の数少ない蔵書の一冊です。名誉革命やホッブズに興味が出てきたので、この機会に読み返すことにしました。 まず、代表作である『統治論』(『市民政府二論』)と、名誉革命との関わりについて。 ※ 第二論文は、名誉革命の準備が進行していた八十七年か八…

ホッブズ『リヴァイアサン』(水田洋訳『世界の大思想 13 ホッブズ リヴァイアサン』河出書房新社 1966)

2013年2月24日の記事で、私は以下のように書いてしまいました。 ※ ホッブズといえば王権神授説、というのは高校世界史レベルの常識でして。神授説というからには神を信じているはずなんですけど、デカルトへの反論を読んでると、本当にそうなのか不安…

デカルトの三元素説(『デカルト著作集 4』収録 『宇宙論』より)

ガンジーについて書くと長くなりそうなので、先に懸案事項を片付けておきます。 以前に、デカルトを四元素説だと書いたのは、以下にあるように三元素説の誤りでした。訂正します。 ※ 私は自分の流儀で元素の記述をしなければならない。 私は、火の元素と名づ…

アラン 「曖昧な兆候」(『プロポ Ⅰ』より)

もいっちょ引用。フロイトの『精神分析』を、「ありもしないものを見抜こうとする術にほかならない」と断言した章の末尾にて。 ※ デカルトの天才のもっとも驚くべき特色のひとつ、もっとも理解されていない特色のひとつは、動物に精神を想定することをつねに…

アラン 「動物崇拝」(『プロポ Ⅰ』より)

(本来は昨夜(4月7日夜)に書くはずでしたが、PC不調により遅れたことをお詫びします)。 アランはデカルト哲学に心酔しており、例の「動物には魂はない」という説についても例外ではありませんでした。 ビーバーがダムを作ったり、鳥が巣を編んだりする…

『アラン著作集 第六巻 イデー』(渡辺秀訳 白水社 1960)より「デカルト」 (予告)

アランの文章にはことあるごとにデカルトが出るのですが、この『イデー』という哲学書も、約四分の一をデカルトに割いています(残りはプラトン、ヘーゲル、コント)。 原著が出た1939年には、アランは既に平和主義者だったはずなのですが、デカルトが進…

第六答弁 (白水社 『デカルト著作集 2』 1973 より)

デカルト『省察』の読書録も、今回をもってひとまず終わりとします。結局、デカルトは最後まで、「動物にも精神はある」とは認めませんでした。 ※ 犬[ども]や猿[ども]について言えば、よしんば私がそれらのうちに思惟があることを承認するとしたとしても…

第六反論 またしても人間と動物の間編

デカルト『省察』の読書録もマンネリ化してきたので、あと一回で終わりにします。 今回の反論者は本名不明の「メルセンヌ周辺の『哲学者や数学者たち』」だそうです。犬だって寝ぼけて吠えることもある(菅原家のシーズーもそうでした)という例から始まって…

第五答弁 人間と動物の間編 (白水社 『デカルト著作集 2』より)

3月18日に書くはずでしたが、パソコンの不調により(本文欄だけ書き込めなかったのです)遅れてしまったことをお詫びします。別に深刻に悩んでいたわけではありません。 まずは、ガッサンディの「動物にも精神らしきものはある」という反論に対する、デカ…

第五反論 その2

デカルトの、「神の存在論的証明」は、すべての人間が同じ「神の観念」を持つ、ということを大前提にしているわけです。 そこで私は徳川家康だの七福神だのを引き合いに出してつっこんできたわけですが、ついにデカルトと同国同時代の人ガッサンディからも同…

第五反論 その1(白水社 『デカルト著作集 2』1973 より)

「頭脳にきわめて悪い影響を及ぼすいとわしい、濃密な蒸気、もしくは煙、のごときものによってあなたが妨げられたり、あるいはかきみだされたりすることはありえない、ということを証明せねばならないでしょう」(316ページ)。 花粉症だか大気汚染のせい…

第四答弁(白水社『デカルト著作集 2』1973)

私が神学だのスコラ哲学につっこみをいれ出すと際限がないですし、不毛だとも思うので、デカルトの答弁をなるべく忠実かつ簡潔に要約するにとどめます。 ・人間的精神の本性について。人間の行動にも、動物と同様に、「精神に依拠しないもの」「心がそれに気…

第四反論(白水社『デカルト著作集 2』 1973)

今回のゲストは、神学博士(見込)アントワーヌ・アルノー。この反論執筆時には29歳、パリ大学神学部で、博士論文の提出準備という「面倒な仕事で忙殺されていた」(241ページ)とこだったそうです。履歴書だの製本だの、論文以外で面倒なことが多いも…

デカルトの循環論法(近藤洋逸 『デカルトの自然像』岩波書店 1959 より)

これまでにもうっすらと問題になってはいたのですが、アルノーやガッサンディの第四・第五反論ではくっきりと問題になりそうなので、近藤氏の要約を引用します。 ※ デカルトは明晰判明知の真を誠実な神によって保証させる。(略)すなわち自我のもつ神の観念…

ホッブズの唯物論(近藤洋逸 『デカルトの自然像』岩波書店 1959 より)

ホッブズといえば王権神授説、というのは高校世界史レベルの常識でして。神授説というからには神を信じているはずなんですけど、デカルトへの反論を読んでると、本当にそうなのか不安になってきました。 (2013年6月12日 追記 「高校世界史レベルの常…

第三反論と答弁 9~16(白水社『デカルト著作集 2』 1973)

このホッブズによる第三反論とそれへの答弁は、一問一答形式をとってはいますが、実際にはまとめて送られてきた反論に、デカルト側もまとめて再反論したものでして(解説 516ページより)、ある反論への答弁が次の反論にフィードバックされることはありま…