まず、代表作である『統治論』(『市民政府二論』)と、名誉革命との関わりについて。
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第二論文は、名誉革命の準備が進行していた八十七年か八十八年ごろ、オランダ亡命中に、この革命を理論的に擁護するために書かれたと、考えられてきた。ところが、近年の進歩した綿密な研究によると、第一論文は八〇年のうちに執筆され、第二論文はさらに早く、七十九年の冬から書き出されたらしいのである。(略)
自然法の自然状態とか、合意による政治社会とか、国家権力の信託とか、抵抗権・革命権とか、ロックの社会理論・政治思想の核心は、最初からすでに説かれている。名誉革命は、これをさらに整えて世に公表する機会であり、また、彼の理論を実証する機会だったのである。
(上掲書解説 大槻春彦「イギリス古典経験論と近代思想」 16ページ)
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刊行されたのは革命後でも、思想そのものは名誉革命の十年も前から用意されていたわけです。
そして書簡や雑誌論文で少しずつその思想を公表していたことを思えば、名誉革命とはまさに「ロック思想の実現であり、その勝利である」(上掲書17ページ)と言えます。
「革命」よりも「名誉」(この場合は無血)の方に関心がある私としては、ホッブズよりもロックを読みたくなってきました。