核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

ロック『統治論』における無抵抗主義批判

 ロックという思想家の最大の功績は、君主に対する抵抗権を認めたことでした。
 王権神授説の論者バークレィ(1546~1608)の、「抵抗は畏敬の念をもちつつなされなければならない」「抵抗は復讐や処罰を伴ってはならない」という説に対して、ロックは以下のように反論します。
 
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 なぐり返さずに暴力に抵抗する方法とはどのようなものか、あるいは畏敬の念を抱きつつ相手をなぐる方法とはどのようなものか、これを人に理解させるには多少の手腕が必要であろう。襲撃に対し、ただ打撃を受けとめるための楯だけをもって立ち向かうとか、攻撃者の自信と力を低下させるための剣も手にしないで、何かもっとうやうやしい格好をして立ち向かうような者は、たちまちその抵抗は行きづまり、そんな防衛ではかえってもっとひどい目に合わされるのが落ちだということに気づくであろう。(略)
 したがって、抵抗を許される者は、なぐることも許されなくてはならない。そこで一つ、著者のバークレィでもだれか他の者でもよい、他人の頭をなぐったり、顔を切りつけたりすることと、適当と思うだけの畏敬と敬意とを一緒にしてやらせてみるがよい。殴打と畏敬を融和できる御仁は、その苦心の報いとして、いたるところで丁重いんぎんな棍棒の殴打に見舞われるに値するであろう。
 (『世界の名著 32 ロック ヒューム』中央公論新社 1980 より ロック『統治論』(1689) 340ページ)
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 ・・・ロックの言いたいことはよーくわかります。名誉革命だって、革命軍の勢力に国王側が勝てないと判断して逃亡したからこそ、結果的に無血革命となったわけで。はじめから非暴力革命をめざしていたわけではありません。
 ただ、ロック以来の「革命」思想にあきあきしている2013年の絶対平和主義者としては、「なぐり返さずに暴力に抵抗する方法」とはどのようなものか、自分なりに考えてみたくもなるわけです(いや、ロックが皮肉で言ったぐらいは承知の上です)。
 「襲撃に対し、ただ打撃を受けとめるための楯だけをもって立ち向かう」ヒーロー。
 なかなか斬新だとは思いますが、いきなり論文にはまとまりそうもないので、とりあえずTRPGのシナリオあたりで試してみようかと思います。