核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

佐野学・鍋山貞親「共同被告同志に告ぐる書」(『改造』1933(昭和8)年7月号掲載)

 いわゆる転向声明(=共産主義やめます宣言)の最初のものとして有名な文書です。同年の2月20日に『蟹工船』の小林多喜二が虐殺されるなど、同主義への弾圧が強まっていたこともあり、この転向声明についで「一ヶ月のうちに獄中被告の三五パーセント、一三三名が転向した」そうです(筑摩書房『近代日本思想大系 35 昭和思想史Ⅰ』の「解説」(松田道雄) 480ページより)。
 ただ、あらためて原文を読むと、彼らが批判しているのはマルクス主義そのものではなく、コミンターン(「コミンテルン」、「第三インターナショナル」とも。ソ連共産党を中心とした国際組織)に向けられています。
 
   ※
 我々は従来最高の権威ありとしてゐたコミンターン自身を批判にのぼせる必要を認める。(略)
 事実上、日本共産党は我が労働階級の解放をめざす党たるよりも、日本における蘇連邦防衛隊又はその輿論機関たることにヨリ多くの意義がおかれてゐるかに見える。コミンターンが日本共産党の現状に何等の批判を加へず、却て無責任に扇動するは、この意味なしとしない。
 (上掲『昭和思想史Ⅰ』372~373ページ)
   ※
 
 では、コミンターンのどこがいけなかったかと言いますと。佐野・鍋山声明によればそれは「君主制廃止」と「戦争絶対反対論」です。
 
   ※
 急進的小ブルジョアはコミンターンの戦争絶対平和論に何の批判もなしに引付けられる。戦争に一般的に反対する小ブルジョア的非戦論や平和主義は我々のとるべき態度ではない。我々が戦争に参加すると反対するとは、其戦争が進歩的たると否とによって決定される。(略)
 太平洋における世界戦争は後進アジアの勤労人民を欧米資本の抑圧から解放する世界史的進歩戦争に転化し得る。我我は蘇連邦及び支那ソヴエート政府に対する戦争は反動戦争として反対する。
 (376~377ページ)
 
 ・・・私も、コミンターンやスターリンが心から平和主義だったとは決して思いませんが、少なくとも建前上は平和主義を訴えてはいたわけです。
 一方、佐野・鍋山(便宜上ひとまとめにします)は、「戦争絶対反対論」そのものを有害とし、日本と米国との戦争は「国民的解放戦争」だが、ソ連や中国共産軍との戦争は「反動戦争」と規定し、戦争への積極的参加を通じた問題解決を訴えています。スターリン政権下ソ連の非人道性への批判は一切ありません。なんというか、共産主義国家主義の悪いとこどりとしか思えません。
 こんなものを「佐野鍋山両氏の声明書を読んで見ると、流石に論理のガツシリしたものだ。私はこの声明書の値打を相当に高く買はうと思ふ」と書いた土田杏村もどうかと思います(「転向没落問題・自由主義戦争論」上掲書382ページ)。
 なお私としては、右翼か左翼か、という区分で人間を理解することはしません。孤独の中でも信念を貫ける人か、情勢しだいでころころと信念を曲げる人か、というのが私にとって重要な区別です。