核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

金谷佳一「ヘーゲルの戦争観」(『鳥取環境大学紀要』第5号 2007・3) その2

 ヘーゲルの戦争観について、金谷論文も当ブログと同じく、『世界の名著35 ヘーゲル』収録の『法の哲学』(藤野・赤澤訳 583ページ)を参照していますので、そちらから引用します。


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 現世の財物と事物のはかなさということは、いつもならお説教ののきまり文句であるのが常であるが、戦争はこのはかなさが真剣に考えられる状態である。したがって戦争は、特殊的なものの観念性がその権利を得て現実となる契機である。―だが戦争にはさらに高い意義がある。すなわち私が別のところ(訳注(2) 「自然法の学問的取扱い方について」全集第一巻四八七ページ。)で述べておいたように、戦争によって「諸国民の倫理的健全性は、もろもろの有限な規定されたものが不動のものになることに対して彼らが執着をもたなくなるために、維持されるのである。(訳注(3) カント『永久平和のために』(一七九五年)に対する諷刺。)持続的な凪(なぎ)は海を腐敗させるであろうが、永久平和は言うまでもなく、持続的な平和でさえも、諸国民を腐敗させるであろう」。
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 …ヘーゲルの戦争観はこの最後の一行に集約されています。私には机上の空論としか思えませんが、昔はこういう哲学者もいたということで。昔はといっても、訳注にある通りカントの永久平和論よりも後の時代です。
 なお訳注(2)の「自然法…」の内容は金谷論文に要約されており、『法の哲学』とほぼ同様とのことです。