核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

差別や戦争を美化するヘーゲルの前で、倫理は有効か?

 「差別や戦争の原因になるから、人を殺してはいけない」というのが、前々回での私の答えだったわけですが、それで十分だとは思っていません。

 「人を殺してもいい」と本気で思っているような相手なら、「差別や戦争があっても別にいいじゃないか」と答えかねないからです。私がここで念頭に置いているのは、ナイフを持った若者よりも、むしろヘーゲルのような自称知識人です。

 前にも引用した、黒人差別を正当化するヘーゲルの言を引用。

 

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 黒人は道徳的感情がまったく希薄で、むしろ全然ないといってよく、両親が子どもを売ったり、反対に子どもが両親を売ったりする。(略)
 生を尊重しないがゆえに、黒人にはおそるべき体力にささえられた蛮勇があって、そのために、ヨーロッパ人とのたたかいでは何千という黒人が平気で射殺される。生は、価値ある目的をもつとき、はじめて価値あるものとなるのです。
 (岩波文庫『歴史哲学講義(上)』一六四頁)

   ※

 

 ……だ・か・ら、黒人から子どもを買ったり、平気で何千人も射殺しているのはヨーロッパ人だろうに。

 続いてヘーゲルの戦争賛美、「平和は諸国民を腐敗させる」説を。

 

   ※

 (戦争によって)諸国民の倫理的健全性は、もろもろの有限な規定されたものが不動のものになることに対して彼らが執着をもたなくなるために、維持されるのである。持続的な凪(なぎ)は海を腐敗させるであろうが、永久平和は言うまでもなく、持続的な平和でさえも、諸国民を腐敗させるであろう

 (『世界の名著35 ヘーゲル』『法の哲学』五八三頁)

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 よくニーチェナチスへの影響は取りざたされますが、私はヘーゲルナチスへの影響のほうがよっぽど強いと思います。難し気な言葉使いが幸いしてろくに読まれてませんが、実際読んでみるとろくなこと書いてません。

 こういう自称哲学でこりかたまった人間に、「差別や戦争はいけない」と理解させるのは至難の業です。やはり、「あなたが差別や戦争の犠牲になるかも知れませんよ」という、俗な帰結主義との二段構えでいくしかないようです。