核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

大江健三郎の矛盾

 一九九〇年代後半、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いが論壇に上った頃、大江健三郎は「まともな子供なら、そういう問いかけを口にすることを恥じるものだ」という応答を朝日新聞に掲載しました。

 しかし、もう誰も覚えていないことかも知れませんが、小松川事件という未成年による殺人事件が起きた一九六八年、大江は「想像力」という言葉をしきりに使い(「犯罪者の想像力」(『核時代の想像力』収録)、被告の弁護を試みています。

 引用する気力がつきたのですが、とにかく被告を在日朝鮮人として差別してきた社会が悪い、被告は犯罪によって「他人どもの社会」の束縛から自由になれたとの、理解に苦しむ内容です。

 まさか殺人について語るのは恥ずべきことで、実際に人を殺すのは想像力の解放だ、などと同一人物が考えていたとは思えないので、三〇年の間になんらかの変化が生じたのでしょう。ならば、それを誠実に語るべきです。

 なお、私は犯罪者に感情移入し過ぎる六八年の大江にも、問いかけそのものを封殺する九〇年代大江にも賛同できません。どちらも、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いに、何一つ答えていないからです。