核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

柄谷行人『憲法の無意識』(岩波新書 二〇一六)

 日本国憲法九条は日本人の無意識に根ざしているものだから変わることはない、という論調には賛同できませんでしたが、勉強になった箇所もありました。

 

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 明治の段階で、西洋の平和論はかなり普及していました。それは自由民権運動の進展とともに導入されたのです。その系譜については、山室信一が『憲法9条の思想水脈』(朝日新聞社)で詳細に論じています。幕末の思想家、横井小楠(一八〇九ー六九年)、また「救民論」(一八七一年)で世界大合衆政府論を提唱した小野梓(一八五二ー八六年)、さらに、自由民権運動の理論家であり、かつ戦争防止のために「万国共議政府」を構想した植木枝盛(一八五七-九二年)。しかし、ここで私は、特に、中江兆民(一八四七ー一九〇一年)と北村透谷(一八六八ー九四年)について考えたいと思います。

 柄谷行人憲法の無意識』八四頁)

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 さっそく小野梓の「救民論」で検索したところ、書き下し文を掲載しているブログが見つかり、読んでみました。

 一八七一年といえば明治四年。日本では廃藩置県がようやく実施された年に、一九歳の若者が宇内(世界)の乱を止める方法について考えていたという事実は画期的です。しかし。

 まつりごとを善くせざる者これをこらす、とありますが、「どうやって?」と問いたくなってしまいます。軍事力によってであれば、それは少なくとも憲法九条の思想水脈とはいえないのではないか。明治人にそこまで問うのは酷と思われるかもしれませんが、彼と同世代の矢野龍渓は、『経国美談』後篇で、まさに「戦争を止めるための戦争の」の是非について語っているのです。合衆政府に従わない国があったらどうするのか、まで考えていないのであれば、もの足りない気がします。

 『明治文学全集 12』にも載っているようなので、これ以上の考察はそっちを読んでからにします。なお、『憲法9条の思想水脈』もあわせて読みたいところですが、近場にはありませんでした。またの機会に。