山県有朋といえば、一八九〇(明治二三)年当時の伯爵・総理大臣であり、日本のその後(おもに侵略的な方向への)を決定づけた元老なのですが。
森鷗外の『舞姫』(一八九〇)で山県に相当する人物を「天方伯」と仮称したことはよく知られていますが、同じ年に福地桜痴が書いた小説『仙居の夢』では、悪徳政治家の「闇雲伯」と称されていることはあまり知られていないのではないでしょうか。
山県が推し進めた利益線論(日本防衛のための朝鮮侵略論)が、今日まで禍根を残していることを思えば、「天方」よりも「闇雲」のほうが彼にふさわしいと思うのですが、いかがでしょうか。政界をリタイアした福地と異なり、これから出世コースを登ろうととしていた鷗外から見れば、確かに「天の方」の人物なのかも知れません。