核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

たとえば

 「俺らのふみおが異世界を救う」という題のライトノベルが、二〇二三(令和五)年一月に発表されたとしましょう。騎士田踏男という、名前の通り騎士道精神を踏み行う男が異世界に転生し、反撃能力重視と先制攻撃で敵ダンジョンをたたく戦略で魔王チープンを倒し、ラクウイナ国の勇者と讃えられる内容だったら?

 それを「テクストの外側には何もない」とか言って、リアル世界との関連づけをこばみ、作者の政治的意図に一切ふれない読みを展開する評論家がいたら、その評論家は十分に「政治的」です。悪い意味で。もちろん、「俺らのふみおが異世界を救う」の作者も。

 森鴎外が一八九〇(明治二三)年に発表した『舞姫』も、政治性という意味ではそれと似たようなもんです。時の総理大臣兼内務大臣であり、「利益線論」つまり先制攻撃を重視する攻撃的戦略を表明することになる伯爵山県有朋を「天方伯」と、つまり天からの使いであるかのように描出するという、そのごますりっぷりは。