核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

「縦書き文庫」様で、『80日間世界一周』(原著一八七三)を再読してみました

 サッティー(昔のインドで、夫に先立たれた妻を殉死させる風習)から英国人主人公がヒロインを救出するくだりまでだけ読むつもりだったのですが、勢いにまかせて約80分で世界一周につきあってしまいました。やはり傑作です。リアルに涙が出てきました。

 もちろん、批判も多々あることは承知しています。

 「日本の物語では神仏が危機を救うが、西洋の小説では金銭が危機を救う」

 といった論が明治時代にもあったそうです。確かに、80日間世界一周の賭けに応じたフォッグは、まだ前金も入ってないのに、出所の定かでない金を湯水のように使い、執拗に追ってくる探偵や数々のアクシデントを退けて進んでいきます。

 そもそも80日間世界一周なんて賭けが持ち上がったのも、大英帝国の交通網とアメリカ横断鉄道が世界をつないだからで(日本のヨコハマも、かなり重要な中継地点として描かれます。明治維新前なら突破不可能だったでしょう)、結局は帝国主義と拝金主義と男性中心主義をたたえるテクストにすぎない、といった批判はいくらでも可能でしょう。

 それでも、私はこの愉快痛快な傑作を、政治的正しさの名のもとに葬るようなことはしたくないのです。書き換えも禁書と同じことで、この作品の政治的に正しくない部分を書き換えていったら、80日間のうちの1日目ぐらいしか残らないでしょう(いや、「ガスバーナーという資源のムダ使い」をギャグ扱いにしているから1日目もアウトかな?)。

 サッティーで殉死させられかけたインド人女性をヨーロッパ紳士がさっそうと救う場面も、スピヴァク以降のポストコロニアル理論ではしばしば問題にされているようですが。(そして弦斎&麗水の「美少年」に類似した場面があるので論じづらいのですが)。サバルタンは語り得ないとか言いますが、死者はもっと確実に、語りようがないのです。人命が危機にある場合には、異文化の尊重や価値相対主義も、検討し直されるべきではないでしょうか。

 なおスピヴァク関係の近年の論文も読んだのですが、スピヴァクの「表象」論がマルクスの『ルイ・ボナパルトブリュメール十八日』に由来していることを知り、まだ見ぬスピヴァクへの期待が少し薄らぎました。マルクスこそ、労働者でもないくせに労働者の味方づらをした「代理=表象」する自称知識人の典型でしょうに。私は「ナチス文化」を尊重しないのと同様に、「マルクス文化」なんてものを尊重しません。