「アウシュヴィッツのあとで詩を書くことは野蛮である」
「アウシュヴィッツ以降、文化はすべてごみ屑となった」
……などの言葉で知られる、哲学者アドルノ。
では、戦前戦中はさぞかし勇敢な反ナチ派だったのかと思いきや、ウィキペディアの「アドルノ」の項によれば。
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ナチス機関誌加担について
1933年、ナチスがアメリカ黒人のジャズを禁止すると、アドルノは、ジャズは愚かであって救済すべきものはなにもなく、「ジャズの禁止によって北方人種への黒人種の音楽影響は除去されないし、文化ボルシェビズムも除去されはしない。除去されるのは、ひとかけらの悪しき芸術品である」と、当時ナチスが頻繁に使用していた「除去」「人種」「文化ボルシェビズム」といった言葉を使用して批評した[8]。
1934年にアドルノは、ナチ全国青年指導部(Reichsleitung)の広報誌月刊ムジーク1934年6月号に論評を発表し、ヘルベルト・ミュンツェル(Herbert Müntzel)作曲のツィクルス「被迫害者の旗(Die Fahne der Verfolgten)」を誉めた[9][10][11]。この曲はヒトラーユーゲント全国指導者バルドゥール・フォン・シーラッハの詩に曲をつけたものであった[12]。アドルノはこの曲がすばらしい根拠は、「シーラッハの詩を選ぶことで自覚的に国民社会主義的な特徴をしるしている」こと、またヨーゼフ・ゲッベルスが『ロマン主義的リアリズム』と規定した「新しいロマン主義の表象化が追求されていることにあると書いた
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得意分野の音楽にかこつけてではありますが、戦後に、おまえもナチス賛同者じゃないかと批判されてもしかたがない文章です。アドルノもあれこれと弁解していますが、アーレントは「みっともない」、ヤスパースは「なんたるぺてん」と酷評しています。
私はアドルノの人と哲学についてまったく無知なので、今すぐ「アドルノはすべてごみ屑となった」とまで言うつもりはありません。まず、アドルノ自身の書いたものを読んでからにしたいと思います。
ことに知りたいのは、アドルノのマルクス理解です。1969年に没したアドルノは、スターリンや毛沢東のアウシュヴィッツ以上の蛮行を知りえたはずですが、それらについてはどう論じていたのかを。