うかつにも、これまで現物を読んだことがありませんでした。名前はしょっちゅう目にしていたのですが、「知識人がサバルタン(従属者)を代理して語るのは越権だ」みたいな主張だろうと思い、それに反発を感じて読まずにきたわけです。
今回書く論文は、明治時代の東京在住の新聞小説家二人がアイヌ社会を描くという、まさに越権な小説についてです。賛否は別として、スピヴァクぐらいは読んでないと議論が始まらないようです。
しかしなあ、明治時代の実例を挙げますと、鉱山に坑夫となって実体験した人が、ぶじ生還して雑誌『日本人』でその悲惨な実態を明らかにした、なんて例もあるわけです(高島炭鉱事件 一八八八)。そこまで覚悟のある書き手であれば、あえてサバルタンを代理して語ってもいいのではないか、と思ってしまいます。