核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

おいしい文学の料理法

 文学作品で、読者がおそらく知らないであろう料理をおいしそうに表現するには、いかなる技法があるでしょうか。

 村井弦斎『食道楽』で目につくのは、シュークリームを「白い餡が出るの」と表現したり、トマトを「赤茄子」と呼ぶように、洋食をすでに知られている和食にたとえる方法です。乳製品、たとえばチーズ(これは「チース」と表記されてます)には、明治の日本人は抵抗を持っていたようですが、それを「白い餡」などと呼ぶことで、シュークリームをおまんじゅうと同列の、違和感のないお菓子に仕上げたわけです。

 違和感・異物感は食欲の大敵で、そっちを追求した、日本一まずそうな文学作品に、幸田露伴の「珍饌会」があります。食道楽のなんのと大きな面をする奴がいて腹が立ったから、虫だの蛇だのを食ったと下らねえ自慢話を書いてみた、というのが幸田露伴の言ですが、パロディにも何にもなってない、悪趣味なだけの小説です。

 あとは、ルネ・ジラール(も最近言及されないな)のいう欲望の三角形。他人がうまそうに食ってるものはうまく見えるというあれです。『食道楽』でいえば、大原くんが出る料理を一々おいしそうに解説しながら食べてくれるから、お登和嬢の料理が引き立つわけで。

 ・・・・・・検索してみたら、真銅正宏「明治の食道楽/村井弦斎「食道楽」・幸田露伴「珍饌会」 : 食通小説の世界 (五) 」という論文がネットで読めました。同氏の『食通小説の記号学』はうかつにもまだ読んでなかったので、続きはその後とします。