核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

原抱一庵『闇中政治家』における物語批判・差別批判とその限界

 海賊シルバーが義足だったり、海賊フック船長が義手だったりという風に、物語というものはしばしば、身体の欠損を、安易に反社会性の記号として使いがちなものです(いや『宝島』や『ピーター・パン』は名作ですけど、上記の手法はほめられません)。

 そうした風潮に対して、『闇中政治家』の語り手は、少なくとも冒頭では、一定の距離を置くような語りをしています。

 物語冒頭、北海道の旅先で出会った、謎めいた二人の旅人(その一人は盲人)への感想。

 

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 世の文家及び談話家が対比(コントラスト)の妙を叙(つひ)でん為め殊更に盲目者を籍(か)り来りて盗となし賊となしもて読者聴者の感を深からしめんと勉めたるより人をして盲目なる語の裏には一種姦邪の意味ある如く思はしむるに至りたれど渠(かれ)はまさしく天より稟(う)け得たるものゝ一ツを失ひ居るものにあらずや我々が娯(たの)しむ如くに世を娯(たのし)むことの能はざるものにあらずや

  『明治文学全集26 根岸派文学集』二五五頁

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 ここはちょっと批評性というか、通俗的な物語への批判を感じました。

 ありがちな通俗物語が、安易に悪者をキャラづけするために、障害を小道具のように使う風潮を、語り手は拒絶しています。最後までこの調子ならりっぱなのですが。

 数ページ後の、「アイノ人種」の小屋に泊めてもらう場面では、「強蛮奴」「一盲人」「大悪漢」「風流洒々たる余」「美少年」の五人がそろった様を指して、「配合変化(バライチー)の妙」だの「此の物語をして一部の小説ならしめん」だのと自画自賛しています。やっぱり安易に、「対比(コントラスト)の妙」とやらに走ってます。

 百年以上前の小説なので、現代の眼から見て、アイヌや障害者に対して差別的なのは当たり前じゃないかという意見もあるかも知れません。そうかもしれませんが、もしかしたら差別に抗う批評性もあるんじゃないかと期待もしていたわけです。原抱一庵は残念ながらそうした批評性を持続しきれなかったようです。