核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

個人ではなく、ネットワークを描く小説を求めて

 そもそも、『日本文壇史』自体がそれに近い構造なのですが。

 一個人の生きざまを直線的に追っていくのではなく、個人たちの横のつながりの平面、それに時間の経過を加えた立体的な小説を読んでみたいという願望は、伊藤整のみならず私も共有しています。「梁山泊に集結しない水滸伝」「里見家に仕官しない八犬伝」「導かれないドラクエ4」。

 遅塚麗水の「電話機」(明治二三)は、電話という小道具を用いることで、階層格差の壁を超えて、ネットワークらしきものを描いた稀有な小説です。

 『佳人之奇遇』(明治一八~三〇)は……ネットはあるけどワークはない、といったところでしょうか。主人公、悲憤慷慨してばっかで行動しないし。

 まだ見ぬ幸田露伴『風流微塵蔵』(明治二六~二八)はどうでしょうか。残念ながら本編は近代デジタルコレクションにもなく、「もつれ糸」という題の、田村松魚との合作の後編があるきりでした。この「もつれ糸」という題名からは、幸田露伴のネットワーク型小説への意識的な志向が見てとれるのですが。そういえば遅塚麗水と幸田露伴は幼馴染でした。