伊藤整『日本文壇史 4 硯友社と一葉の時代』を読んでいたら、気になる小説が見つかりました。
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無数の人物が作中に次々と登場し、(略)更にその外側の人物の生活が描かれ、その人物のまた外側の別人物が描かれて、横に横にと話の中心が移っていく構造であった。
露伴は意識して、このような小説形式を作り出したのである。(略)つまり大きな小説は、このような「連作体」または「数珠の玉」のような物語の連続であるべきで、初めの二人の主人公の物語は、「その珠をつなぐ緒のやうなもの」であるというのである。
(三〇~三一頁)
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……伊藤整の好みにあったのか、紹介も力が入っています。私の好みでもあるわけですが。
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別々な職業の人達がそれぞれの意見を持ったまま交わり合い、話し合って合理的な社交生活をする、という市民生活の確立していない当時の日本では、オーケストラ的構造を持つ近代小説は成立しにくかったのである。日本の社会の構造は、各方面のセクト、同業組合、社会層によって小部分に切りはなされたものであった。明治維新はその切りはなされた小社会に多少のつながりを作り出していた。分裂的な社会構造は次第に連環的な並列になって来ていた。その点で露伴の方法は芸術力学的に正しかった。
(三二頁)
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……残念なことに読者がこの実験についてこれず、未完に終わったそうですが、気になる作品です。かけ声だけに終わった内田魯庵の社会小説なんかよりもよっぽど魅力的です。気力がある時に探してみます。